七月の空気は、夜になっても生ぬるさを残していた。
コポーは広場の石段に腰を下ろし、ぬるくなった水筒を逆さにした。最後の一口は、池からあがる生ぬるい湿気とほとんど同じ温度だった。
梅雨の最後の雫がまだ草の先に残る夕暮れだった。
龍神様の祠の石段の下に、茅の輪が立っていた。青草を編んだ輪はビピクの肩幅の三倍ほどもあり、夕霧の中にぼんやりと浮かんでいる。傍らの竹籠には白い紙の人形が几帳面に折り重なっていた——形代だ。半年に一度、この日の夕暮れに、祠へ向かう道を住人たちが歩いていく。
春雨の上がった払暁、龍神様の祠の前に広がる石畳は、霧の奥でその目地を白く滲ませていた。
スパイスが機材を持ち出したのは、まだ夜の明けぬ前のことであった。工房から運び込んだレーザーキャリパーと自作のデータロガーを祠前の石畳に据え付け、彼は細い針を繰り返し落とし続けた。針の長さは一。目地の間隔は二。
蛙鳴町に梅雨の雫が滴る朝、スパイスは工房の窓を開けた途端、息を呑んだ。
ペーシャンが、記録の蔵の軒下で丸まっていた。いつものように。ただし、そのもちもちとした灰白色の肌に——茶褐色の斑点が、等間隔に並んでいた。大きな点と小さな点が交互に連なり、まるでどこかの学術誌に掲載された顕微鏡写真のように、整然と均整がとれている。
薄暮の記録の蔵に、タッチーは忍び込んだ。
正確には「忍び込んだ」というより、脚のあまりの長さゆえに鴨居をまたぐ動作が、傍目にはどうにも怪しく映るのである。
梅雨の合間を縫う薄陽が、ホームの石畳を白くまだらに焼いていた。蒸した空気の中に、どこかの軒先から練りきりの甘い匂いが漂ってくる——甘さの中に、豆の渋みが混じった、この季節だけの匂い。
蛙鳴町に七つの橋がある。
誰もそれを疑わない。数えても六つしか見つからなくとも、七つある、と古老たちは言い、住人たちはそれを信じ、そして数えることをやめる。数えることをやめた者だけが、この町の時間に馴染むことができる——それが蛙鳴町の流儀というものである。
蛙鳴町奇譚:虫と舌の休戦 # 朝のうちから、広場の石畳は青く湿っていた。梅雨の前夜の草の匂いが石畳の隙間に染み込んで、コポーの舌先がひとりでにピクりとした。
嵐の前夜のことであった。
スパイスの工房の窓には、いつも消えることのない電球の光があったが、その夜ばかりは、それに混じって薄緑色の別の光が揺れていた。梅雨の匂いを含んだ風が踏切の方から流れ込み、工房の引き出しの奥に並んだ瓶が静かに鳴っていた。
五月の四日、空の様子がおかしかった。
朝から霧が降りてきた。降りてくる、という表現は正確ではないかもしれない——池から立ち昇るのでなく、頭上より湿った影が、まるでデータパケットの洪水がネットワークを静かに溢れさせるように、音も予兆もなく滑り落ちてきた。逆さ霧だ、と大人たちは言った。
春霞の溶けきった昼下がり、龍神様の池が青空を丸ごと映していた。
「見ろ——今日のコポーは、大地と対話する男になる」
コポーは腕まくりをして池のほとりにしゃがみ込み、スパイスから「研究目的で」借りてきた細い針の温度計を黒土に差し込んだ。小さな画面が37.2と点滅する。
南の空気が、朝から少しだけ違う匂いをしていた。
池の水面がざわめいている。風はないのに、龍神様の祠のしめ縄が揺れていた。コポーは縁石に腰かけて、その揺れを眺めながら腕を組んだ。カッコいいポーズをとるつもりだったが、なんとなくそういう気分になれなかった。