五月の正午を少し過ぎた頃、コポーは都会から届いたばかりの号外をポケットに押し込んだまま、町外れの踏切の前に立ち止まった。
警報機が、鳴っていた。
いつも開いているはずの遮断機が、白黒の棒を水平に差したまま微動だにしない。列車の来る気配もなく、線路の向こうに停まった車もなかった。コポーは鉄の棒を指の背で叩いてみた。乾いた音がして、消えた。
五月の水田は、まだ誰の声もしなかった。
コポーは龍神様の池のほとりに、足を水に半分つけたまま座っていた。生ぬるい泥の匂いが漂い、水面は朝の光を散らしてまぶしかった。葦の先端が風でわずかに揺れ、あとは静かだった。
石橋の欄干に、一匹の鯉のぼりが引っかかっていた。
風はない。川面は朝靄をうっすら纏って鏡のように凪いでいる。大きな黒い親鯉は、どこか遠くから流れてきたらしく、端がほつれて泥まじりの水を吸って重そうに垂れていた。
五月の澄んだ朝の空気の中、石橋のたもとにソンチョーが立っていた。シルクハットを傍らに置き、古いたわしを片手に、欄干の彫刻を黙々と洗っている。龍神様が刻まれたその浮き彫りは、何百年分の雨と風を受けて、輪郭が少しずつ丸くなっていた。川面には春の光がきらきらと揺れ、若草と湿った石の匂いがかすかに漂っていた。
「今日は働いたら負けだって、新聞に書いてあったよ、兄ちゃん」
ミニコーが朝刊を広げたのは、朝露がまだ残る広場のベンチだった。見出しに「メーデー」とある。世界中の労働者が今日だけは手を止める、らしい。
蛙鳴町奇譚:いちばん長い帰り道 # 四月の朝は、池の面がきらきらと光って目を細めたくなるほど眩しかった。
蛙鳴町奇譚:白紙の贈り物 # 葉桜になりかけたしだれ桜が、川面に影を伸ばしていた。
龍神様の池の畔に、錆びた自転車が一台、春の光を反射して立てかけてあった。
「スパイスに直してもらったやつだ。今日こそ乗りこなす」
コポーはその二輪に手をかけ、胸を張った。昨日転び、一昨日も転び、三日前はまだ押して歩いていた。「颯爽と乗りこなせば女の子にキャーと言われるはずだ」という動機は、三日間ぶれていない。
しだれ桜が水面に枝を伸ばす朝、広場の石畳に泥の足跡が点々と続いていた。
「決めた。僕は蛙鳴町で一番カッコいいカエルになる」
コポーは、木の棒を石畳の隙間に突き立て、手書きの旗をくくりつけた。インクはにじんで「カッコいい」の文字が半分かすれていたが、本人は気にしなかった。
四月の午後、池の面が橙色に染まりはじめる時間になると、コポーは広場の隅で一個のオレンジを両手に抱えて立ち尽くしていた。
「渡すだけだ。ただ渡す。それだけだ。それだけなんだ……」
川の石橋に、朝の光がまっすぐ射し込んでいた。
龍神様の彫刻が刻まれた欄干が、春の空気を受けてぬるく光っていた。ミニコーは橋のたもとで立ち止まり、一度だけ深呼吸をした。
踏切の警報機が、のどかな空気に規則正しいリズムを刻んでいる。 線路脇の土手では、菜の花が競うように黄色い火を灯し、風が吹くたびに甘い香りが鼻腔をくすぐった。
蛙鳴町の広場は、朝から甘い香りに包まれていました。
4月8日。今日は「花まつり」。広場の中央には色とりどりの花で飾られた小さな堂「花御堂(はなみどう)」が置かれ、中には天と地を指差す誕生仏が鎮座しています。
蛙鳴町の駅前広場には、今朝、大きな白地図が広げられていました。
4月7日。今日は「日本一周を計画してみる日」。ミニコーは色鉛筆を握りしめ、自分たちを中心とした円を、地図の上に一生懸命描き込んでいました。
蛙鳴町の西側に位置する「カエル山」。その中腹にある古い石垣の跡で、コポーは朝から必死に泥をこねていました。
4月6日。「城の日」にちなんで、彼は山道に「コポー城」を築城しようとしていたのです。
蛙鳴町の駅前広場。コポーは、エンジニアのスパイスが都会から取り寄せたという、最新の「感情翻訳バッジ」を胸につけて震えていました。
「スパイス、これをつければ……僕が女の子の前でモジモジしていても、僕の『真のカッコよさ』が自動的に翻訳されて伝わるんだな?」 「……理論上はな。対象の脳波と心拍数を解析し、最も適切な言語に変換してスピーカーから出力する。君の空回りするフラストレーションも、これで解消されるはずだ」
蛙鳴町の朝霧は、今日に限って少しだけ甘い匂いがしました。 4月1日。広場の中央では、マスクメンがかつてないほど直立不動で立ち尽くしていました。その隣には、つなぎの襟を正したエンジニアのスパイスが、ホログラムのリストを手にしています。
蛙鳴町の草原は、春の陽光を受けてキラキラと輝いていました。 今日は3月28日。ミニコーは、四つ葉ならぬ「黄金の三つ葉」を探して、地面をじっと見つめていました。
スパイスの工房に、手作りの電球が一個下がっていた。
「今日、点けてみる」
コポーとミニコーが見守る中、スパイスがスイッチを入れた。
フィラメントがゆっくり赤くなって、橙色の光が工房を満たした。
春彼岸のお墓参りの帰り道、コポーとミニコーが団子を食べながら歩いていた。
「先祖ってさ、カッコよかったのかな」
「どうだろ」ミニコーが串を回しながら言った。「兄ちゃんみたいに、不器用だったんじゃないかな」