夏本番の白い陽が差し込む前、蛙鳴町の空気はまだ夜の名残でひんやりとしていました。石橋のたもとに立つ小さな鐘楼で、ソンチョーが古びた綱をそっと握っています。
蛙鳴町の朝は、いつもより潮の匂いがした気がした。もちろん、この町に海はない。あるのは山の奥に横たわる、龍神様の湖だけだ。
「なんでみんな、行ったこともない場所を懐かしがれるんだろう」
梅雨の合間、橋の欄干に腰を落ち着けたハッシーが、くちばしで器用に都会の新聞をめくっていた。
「なあ、ケロミ」
しだれ桜の根元に座って野イチゴをつまんでいたケロミが顔を上げた。
龍神様の池が、六月の空を映して鈍く光っていた。梅雨の晴れ間に夕凪が来て、ハッシーが翼の骨をそっと確かめるように羽根を広げた。
「骨が痛む。でも、雨の予感じゃない」
梅の実が黄金色に膨らんだ頃、蛙鳴町の池の畔では宵が少しずつ遅くなっていた。
ハッシーが石造りの橋の欄干にとまったのは、龍神様の池の水面に橙の光が最後まで残っていた頃のことだった。左翼の付け根が、いつもとは違う種類で疼いている。翼の骨が「天気」を告げる時は鈍く重いが、今夜の痛みはもっと繊細な——何かを指し示すような疼きだった。
蛙鳴町奇譚:傘より深い場所 # 入梅の朝というものは、決まって匂いから始まる。龍神様の池の面が霞み、土が濡れる予感を孕んだ空気が、スパイスの工房の隙間から滲み込んでいた。
空がいつもより低かった。
ハッシーが木陰から顔を出した時、龍神様の湖は完全に凪いでいた。風のない日の水面は、何かを待っているような静けさを持つ。右の翼の骨が昨日からじくじくと痛んでいた。これは間違いなく来る、とハッシーは思った。
しだれ桜が水面に指先を浸す川沿いを、大きな風呂敷包みを背負った老人が一本の杖をつきながら歩いていた。踏切の警報機が不意に鳴り、遮断棒が降りた。老人は急がず、棒の前に立って空を見上げた。
しだれ桜の枝が川面に影を落とす午後、ハッシーが珍しく翼をたたんで石橋の欄干に降り立った。
「ソンチョー。今日で四十年だって」
桜餅を半分食べかけたソンチョーが、顔も上げずに「何がじゃ」と返した。
カエル山の中腹に、一か所だけ色の違う土がある。
コポーがそれを見つけたのは、前の晩のことだ。モッチーが「誰かに相談もできずに重たいものを背負ってる」と珍しく遠い目をしたのを見て、気づいたら山を登っていた。明けの明星もまだ空にある、まだ暗い時刻に。
夕暮れどきの池は、空の橙が水面に滲んで、じわりと赤みを帯びていた。
「ミニコー、それ、何が書いてあるの?」
コポーが草の上に転がりながら問うと、弟はていねいに新聞を折り直した。「長良川の鵜飼い、今夜から始まるって。篝火を焚いて、訓練した鵜に川の鮎を捕らせる漁法。千三百年続いてるんだよ」
蛙鳴町奇譚:いちばん長い帰り道 # 四月の朝は、池の面がきらきらと光って目を細めたくなるほど眩しかった。
蛙鳴町の広場は、朝から甘い香りに包まれていました。
4月8日。今日は「花まつり」。広場の中央には色とりどりの花で飾られた小さな堂「花御堂(はなみどう)」が置かれ、中には天と地を指差す誕生仏が鎮座しています。
蛙鳴町の駅前広場には、今朝、大きな白地図が広げられていました。
4月7日。今日は「日本一周を計画してみる日」。ミニコーは色鉛筆を握りしめ、自分たちを中心とした円を、地図の上に一生懸命描き込んでいました。
蛙鳴町の西側に位置する「カエル山」。その中腹にある古い石垣の跡で、コポーは朝から必死に泥をこねていました。
4月6日。「城の日」にちなんで、彼は山道に「コポー城」を築城しようとしていたのです。
蛙鳴町の朝は、清明の名にふさわしく、透き通った光に満ちていました。 4月5日。この日は「ヘアカットの日」でもあります。エンジニアのスパイスは、広場に不思議な銀色の板を設置していました。
蛙鳴町の西の空が、燃えるようなオレンジ色から深い群青へと溶け始めていました。 4月4日。今夜、太陽に最も近づき、その熱で自らを壊そうとしている「マップス彗星」が、地平線ぎりぎりに見えるはずだと、町の人々は色めき立っていました。
蛙鳴町を流れる小さな川には、古びた石造りの橋がかかっています。 4月3日。今日は「日本橋開通記念日」にちなみ、町では橋の汚れを落とす「橋洗い」が恒例行事となっていました。
蛙鳴町の駅前広場。コポーは、エンジニアのスパイスが都会から取り寄せたという、最新の「感情翻訳バッジ」を胸につけて震えていました。
「スパイス、これをつければ……僕が女の子の前でモジモジしていても、僕の『真のカッコよさ』が自動的に翻訳されて伝わるんだな?」 「……理論上はな。対象の脳波と心拍数を解析し、最も適切な言語に変換してスピーカーから出力する。君の空回りするフラストレーションも、これで解消されるはずだ」
蛙鳴町の駅前広場には、今夜、不思議な「境界線」が引かれていました。 3月31日。年度の終わりを告げる風が吹く中、エンジニアのスパイスは、古びた蔵の入り口に、特製のホログラム・プロジェクターを設置していました。