町外れの古い踏切を越えた先、しだれ桜が川面に枝を伸ばす。 今日の蛙鳴町には、都会から「AR(拡張現実)の実験」という名の新しい風が届いていました。
世界水の日に、スパイスが龍神様の湖の水質データを読み上げた。
「透明度、pH、溶存酸素量——すべて正常範囲内。この町の水は、今も清潔だ」
ソンチョーが湖面を見ながら言った。
春分の日は、昼と夜の長さがほとんど同じになる。
ビピクがしだれ桜の下でヨガのポーズを整えながら、ソンチョーに聞いた。
「完璧でも不完全でもない日って、あると思う?」
スパイスが端末を見つめたまま動かなかった。
「……生体分子が確認された」
遠い宇宙の小惑星から持ち帰ったサンプルの中に、生命を作る分子が含まれていた。都会の研究者たちが、震える声で発表していた。
三月十六日の朝、モッチーは夜明けから台所で団子をこねていた。
ひとつ、ふたつ……十六個。数えながら、丁寧に、均等な大きさに丸めた。
「龍神様への春の供え物だ」
午後二時四十六分、町が静かになった。
広場の住人も、池のほとりで立ったままでいるコポーも、橋の欄干にもたれたタッチーも、それぞれの場所でしばらく動かなかった。
砂糖の日なのに、ソンチョーはお茶に砂糖を入れなかった。
「今日は苦いままがいい」
コポーが隣に座り、湯飲みを覗き込んだ。
「なんで? 苦いの嫌いじゃない?」
三月の朝、ビピクがしだれ桜の下に立っていた。
姿勢は完璧だった。角度も、表情も、指先の形も。でも今日だけは、誰も見ていない場所でそれを維持していた。
啓蟄の朝、龍神様の池のほとりの土がもこもこと動いた。
「……春、だ」
ペーシャンが、大きな体をゆっくりと地面から持ち上げた。モチモチした背中に土が張りつき、枯れ葉のかけらがいくつか乗っかっていた。
龍神様の池の畔に、オヒサマの雛壇が静かに広がっていた。
七段の朱塗りの棚、金屏風に寄りかかったお内裏様とお雛様。桃の枝を飾った花瓶の横で、オヒサマが竹ぼうきで花びら一枚を払いながら眉をひそめた。
三月の風が駅前広場を吹き抜け、まだ開かない桜のつぼみが枝の先でぎゅっと身を縮めていた。
「……届かない」
ミニコーが踏み台代わりにした石の上から、掲示板の高い位置に向かって精一杯手を伸ばしていた。「ねえさんへの誕生日カード」と書かれた紙。住所の欄には「世界中のどこか」と書いてある。
三月の朝霧がまだ龍神様の湖を覆っていた頃、スパイスは湖面を覗き込んで眉をひそめた。
「……揺れている」
彼の水波センサーの針が、かすかに、しかし規則正しく振れていた。遠い海の底から伝わってくる微振動——まるで誰かが巨大な太鼓を打ち続けているような波紋が、霧の奥から静かに広がっていた。