「スパイス! この装置、遠くと繋がるか?」
スパイスが手を止めた。コポーが工房の入り口で手を振っていた。
「遠くって、どこだ」
「まだ行ったことのない場所」
スパイスが難しい顔で端末を見ていた。
「世界のどこかで、情報の扉が閉められようとしている。見えない壁が増えている」
ミニコーがシュークリームをほおばりながら「どんな壁?」と聞いた。
午後二時四十六分、町が静かになった。
広場の住人も、池のほとりで立ったままでいるコポーも、橋の欄干にもたれたタッチーも、それぞれの場所でしばらく動かなかった。
砂糖の日なのに、ソンチョーはお茶に砂糖を入れなかった。
「今日は苦いままがいい」
コポーが隣に座り、湯飲みを覗き込んだ。
「なんで? 苦いの嫌いじゃない?」
都会では朝から数字が騒がしかった。
「日経平均がまた下がったって……ミニコー、何円下がったか知ってる?」
「六千円以上だって」
モッチーが黙って大根を抱え直した。今日は龍神様の池への供え物の野菜を届ける日だった。重い。でも重さは、慣れている。
三月の朝、ビピクがしだれ桜の下に立っていた。
姿勢は完璧だった。角度も、表情も、指先の形も。でも今日だけは、誰も見ていない場所でそれを維持していた。
三月の風が広場を横切るたびに、ケロミはくしゃみをした。
「……っくし! っく……」
「大丈夫か?」
コポーが恐る恐る近づくと、ケロミが涙目で首を振った。声が出ないわけではないが、いつもの透き通った音とは違う。かすれた空気が、言葉の端にまとわりついていた。
三月の広場に、遠い都会からニュースが風に乗ってやってきた。
「満塁ホームランだって! 十三対ゼロで勝ったんだって!」
コポーが声を張り上げると、タッチーが長い足を組み替えて振り向いた。
啓蟄の朝、龍神様の池のほとりの土がもこもこと動いた。
「……春、だ」
ペーシャンが、大きな体をゆっくりと地面から持ち上げた。モチモチした背中に土が張りつき、枯れ葉のかけらがいくつか乗っかっていた。
三月の早い朝、コポーが裁縫道具を広げて眉間に皺を寄せていた。
「スパイスー、なんで針って二本あるんだ?」
「糸を通す穴と刺す先が別々だから。基礎知識だ」
龍神様の池の畔に、オヒサマの雛壇が静かに広がっていた。
七段の朱塗りの棚、金屏風に寄りかかったお内裏様とお雛様。桃の枝を飾った花瓶の横で、オヒサマが竹ぼうきで花びら一枚を払いながら眉をひそめた。
三月の風が駅前広場を吹き抜け、まだ開かない桜のつぼみが枝の先でぎゅっと身を縮めていた。
「……届かない」
ミニコーが踏み台代わりにした石の上から、掲示板の高い位置に向かって精一杯手を伸ばしていた。「ねえさんへの誕生日カード」と書かれた紙。住所の欄には「世界中のどこか」と書いてある。
三月の朝霧がまだ龍神様の湖を覆っていた頃、スパイスは湖面を覗き込んで眉をひそめた。
「……揺れている」
彼の水波センサーの針が、かすかに、しかし規則正しく振れていた。遠い海の底から伝わってくる微振動——まるで誰かが巨大な太鼓を打ち続けているような波紋が、霧の奥から静かに広がっていた。
二月の終わりの空は、日が落ちた後もしばらく薄桃色が残る。
龍神様の池の端で、コポーは息を白くしながら西の空を見上げていた。夕暮れの残光の中に、光の点が一つ、また一つと灯り始めた。数えようとして指を立てるが、二月の空気が冷たくて、すぐに引っ込めてしまう。
蛙鳴町について # 町外れの古い踏切と、しだれ桜が川面に枝を伸ばす風景。 蛙鳴町(あめいちょう)は、どこにでもありそうで、どこにもない小さな町です。 日々の出来事が、ここでは少しだけ奇妙な色に染まります。