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  1. 蛙鳴町(あめいちょう)奇譚/

登場人物と世界観

蛙鳴町について
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町外れの古い踏切と、しだれ桜が川面に枝を伸ばす風景。 蛙鳴町(あめいちょう)は、どこにでもありそうで、どこにもない小さな町です。 日々の出来事が、ここでは少しだけ奇妙な色に染まります。


登場人物
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コポー
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町に住む若いカエル。カッコよくなりたい邪念強めの少年で、転ぶのが得意な残念さがある。誰も見ていない場所で人知れず努力する不器用な本気を持ち、カッコつけを一度捨てて素直な優しさを見せる成長も見せる。「守ること」から「もてなすこと」へとカッコよさの定義を更新し続けている。オヒサマに片想い中で、弟ミニコーを慕う兄でもある。遠くへの旅立ちにひそかな憧れを抱き始めており、麦わら帽子と風呂敷包みで旅支度を整えてみるものの、結局は帰る場所の温もりを選ぶ、根っこの部分では家族思いの一面もある。かまどの火を独り占めしようと張り切って野菜を焦がしてしまったこともあるが、焦げた皿を仲間と分け合うことで、一人で背負い込まない優しさをひとつ覚えた。夏のはじめに「ひと夏の記録」をつけて伝説を残すと大宣言しながら、ノートを白紙のまま夏を終わらせてしまったこともある。それでも最後には、もらったトマト一個の重みだけを正直な一行と小さな絵に書き留め、壮大な記録より確かに手に持てるものの重さを選んだ。大当たりの宝くじで一発当てて町じゅうの女の子を噴水のある家に招く、といった夢を語っては外れ、券を紙くずと呼んで捨ててしまう詰めの甘さもある。国からの栄誉賞の記事を読んで胸に棘が引っかかったときは、自分ではなく弟や仲間を称えたいと思い立ち、スパイスの余りアルミホイルで不格好な星の勲章をこっそり手作りして配って回るなど、目立ちたがりだった自分を差し置いて誰かの功績を称える優しさも芽生え始めている。宇宙の日の夜には勢い余ってスパイスの銀紙ロケットを低く落としてしまったが、拾った一機目を机の引き出しの奥にしまい、次こそはと人知れず銀紙を折る練習を始めるなど、失敗したものを大事にとっておく一面も見せる。

スパイス
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口数少なく発言は的確な、エンジニア気質のカエル。謎の装置や実験でコポーを巻き込むが、その根底には「物理的な壁より情報の透明性」という信念や、環境モニタリングで町を見守る几帳面さがある。合理主義・効率主義を装いながらも、手作りの贈り物やお節介の奥に不器用な温かさを隠し持つ。ソンチョーの「守るべきは繋がりだ」という言葉に何度も諭されてきた。輪ゴム仕掛けの豆粒サイズの模型船「はと丸」を作り、龍神様の湖で往復航海を記録するのが密かな習慣で、船底には航海のたびに小さな刻み目を増やしている。弾力まで設計した「寸分たがわず同じ粒」を吐き出す菓子製造機を自慢することもあるが、モッチーの手製の不揃いな粒を黙って口に運び、翌日には型にわざと角のゆがんだ模様を彫り足すような、こっそりした方向転換を見せる。都会の研究所がこしらえた「光を一切返さない完全な黒」の布を撮影用に取り寄せてビピクに手渡したものの、それが本人の姿ごと消してしまうのを見るや、何も言わず布を小箱に戻し、蓋の上で軽く指を鳴らした。二百二十日の風が吹く朝には、雨が来る前にと橋の下の石造りの樋に半身を突っ込み、夏じゅうに溜まった枯れ葉と泥を細い熊手で人知れずさらう。「地味だが、いちばん先に片づけておく仕事だ」と、誰も見ていない石の下の作業を淡々と続ける。宇宙の日の夜には、指先ほどの銀紙を折って輪ゴム仕掛けの小さな「ロケット」を作り、引き込み線の脇からひとりで打ち上げる習慣がある。一機目、二機目と低く落ちても淡々と新しい銀紙を折り続け、三機目でようやく夜空の低い星々の高さまで届かせるなど、諦めの悪さを効率主義の顔の下に隠している。町の水位や龍神様の湖の水温を記録し続ける古い端末も工房に据えており、プログラマーの日にはファンが唸るほど根を詰めて動かし込むが、熱がこもりすぎた機械をキリガミネンにそっと冷ましてもらうと、素直に礼を言う一面も見せる。

ソンチョー
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ベンチで桜餅を食べているのが定位置の長老。フェっフェっと笑いながら核心をつく。シルクハットがトレードマークで、かつては世界を股にかけた無鉄砲な冒険家だった過去を持つ。龍神様の伝説や「争わない」という古の約束に精通し、不完全さや小さな支えの尊さを語る。冒険家時代に学んだ東洋の知恵で住人に健康アドバイスをすることも。若い住人たちにとって、経験に裏打ちされた導き手。旅の相棒だったという古びた麦わら帽子を今も持っており、若い頃は龍神様の湖を渡りきることは何度もあったが、戻ってくる往復に挑んだことは一度もなかった。冒険家の日にそれを初めて成し遂げ、「往きは勢いでどうにでもなるが、戻りは己の力だけが頼り」だと身をもって語った。冒険家時代に戦地で錆びて捨てられたという古い短剣を今も手帳の重しとして使っており、「一度きりで捨てられるものなど案外少ない」「外れた券にも敗者復活の日がある」と、やり直しの余地を若い住人に説く。重陽の節句には古い暦をめくりながら、「菊は綺麗になる草ではなく、まわりが枯れてからようやく色を出す急がぬ花じゃ」と語り、若さや美しさを引き止めることより遅れて咲くことの意味を説く。

キリガミネン
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駅のホームに佇む、ひんやりした存在。詳細は謎に包まれている。言葉を発することはなく、暑さに参った住人にそっと涼気を分け与えたり、誰かの本音や熱に静かに寄り添ったりする。ホームを離れてもその冷たさは変わらず、いつも言葉のない優しさに真っ先に応える。熱すぎるものにそっと鼻先を寄せ、ちょうどいい加減に和らげてくれることもある。避難訓練の日には、白い体と遠くまで届く涼しさで集合場所の目印になり、その場をただ動かずにいることで町の役に立つこともある。冷え込んだ朝には白い毛並みが夜霜でところどころ固く縺れることがあり、オヒサマに櫛で梳いてもらっても、何も言わず涼しい目で朝の光を受けている。ホームの端で下手な字を清書する住人のそばにもただ佇み、その冷気で覆面の下の汗まで静かに鎮める。字の上手い下手には関わりがなさそうだが、足元の霜にはいつからか誰のものとも知れぬ細かな文字がうっすら浮かぶことがある。プログラマーの日の夜には、熱を持ちすぎたスパイスの記録装置にそっと身を寄せて冷ましてやったこともあり、ミニコーに冷たい肩へ触れられても、ただ黙って駅の方角を見つめていた。

ケロミ
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夕暮れになると歌声が聞こえてくる、発声練習も欠かさない歌姫。散る前に一番いい声で歌いたいと願い、十年・二十年と誰かの心に残る「伝説の歌」を夢見ている。届く先を変えることで少しずつその夢に近づき、時に弔いの祈りへ、時に誰かを励ます歌へと声を変える。無自覚に誰かを癒す優しさも持つ。誰が贈ったかも分からない手作りの勲章を身につけて歌ったことがあり、それだけで歌声がいつもよりほんの少し弾むなど、些細な励ましにも素直に応える感受性を持つ。

ビピク
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完璧であることを求められ、疲れを感じていた住人。都会の「夢」に憧れながらも、泥臭い日常の愛おしさに少しずつ気づいていく。自分自身のメンタルケアのために静かにヨガをするなど、「心の健やかさ」を自分で守ろうとする意志を持つ。不揃いなものや型通りでない形にこそ救われる経験を重ね、完璧さの重圧から少しずつ自由になっている。「今すぐ」を求められる仕事の合間にも、省略できない三分間のような小さな待ち時間を大切に味わう一面がある。ブラウン管越しに映った自分の姿を前にしたときは、いつもの完璧な微笑みではなく、思わず吹き出すような不格好な笑顔をさらけ出せたことに、自分でも小さな驚きを覚えた。均一に整った菓子より、ひとつずつ形も味もちがう手製の粒に心を惹かれ、笑ったときに曲がる口の端を、あえて直そうとしないでいることもある。歯の一本まで磨き上げた銀の櫛を持ち歩くが、傷だらけで歯もふぞろいな古いつげ櫛のほうがキリガミネンの毛によく馴染むのを見て、自分の櫛をそっと鞄に戻したこともある。都会製の「光を一切返さない完全な黒」の布を羽織ったときは、鏡に映る自分の輪郭ごと消えてしまうことに怯えたが、モッチーが池の泥で何度も染めた黒――藍や赤茶を底に沈めた奥行きのある黒――を掛けてもらうと、少し不格好な猫背まで含めて自分がちゃんとそこに在ると感じられた。重陽の朝、菊に被せた真綿で肌を拭えば老いが遠のくという言い伝えを前にして、「もっと綺麗になれますか」と綿を頬に近づけたまま手を止めたこともあり、種から育てられた不格好な野の菊の香りに、思わず息がもれるような不格好な笑みをこぼした。誰が出るとも知れない駅前の相談ダイヤルに名乗らず電話をかけ、「写真を撮られるとき、いつも口の形が同じになってしまう」「うまく笑えない」と、面と向かっては言えない弱さを受話器越しにこぼしたこともある。

ペーシャン
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モチモチした背中が特徴の、どっしりした住人。特製台車を持ち、冬の間は地面の下で過ごし土の記憶を体に宿す習性がある。言葉少なだが「座ってて、いい」「前だけ見てて」など、短い言葉と大きな背中で誰かをそっと支える無言のもてなしを得意とする。急がず待つことの価値を体で語る存在。冬だけでなく夏の終わりにも土から起き出すことがあり、収穫された野菜をひとつずつ撫でて、「芽が出て、伸びて、実がなる夢」がちゃんと形になったか確かめるような仕草を見せる。日なたで丸くなって眠り込むこともあり、わき腹をそっと押すと餅のように沈んでゆっくり戻る。眠ったまま「春の夢」と寝言をこぼす。二百二十日の風が吹くと田んぼの風上にどっかりと座り、大きな背中で風を二つに割って苗の上を越えさせる。「土が、じきに雨の匂いになる。その匂いを先に知りたいだけ」と、風よけを買って出ているそぶりも見せずに、ただ土と雨の気配を待っている。駅前の古い公衆電話ボックスの床下に半分だけ体を埋めて眠り込むこともあり、そうした日は受話器がほんのり温かく、冷たい相談もその温みを通ると少しやわらぐと言われる。相談の当番役が礼を言っても、地面の下で寝返りを打つだけで応える。

タッチー
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長い足が印象的な、優雅なのに残念なキャラクター。助けようとして自分もバランスを崩し、キザな物言いで核心をつくこともある。決め技に名前をつけて披露するが決まることはほぼない。長い脚に対し手が短いコンプレックスを抱えるが、誰にも見せない場所でこっそり自分を整える丁寧さを持つ。サイズの合わない靴を自作の中敷きで調整しているが、走らなければならない場面ではその不自由さを「美学」で隠しきれないこともある。中敷きの枚数(右は三枚、左は二枚、雨の日はもう一枚)を几帳面に皺だらけの帳面へ書き留めており、「この帳面がなけりゃ、俺の脚の長さなんてただ持て余してるだけだ」と、不格好でも書き残すことの意味を語る。誰かが人知れず手習いをしている場面では、意地を張らず自分の帳面をそっと開いて見せる素直さも見せる。自分の長所が誰かの短所と噛み合うと知ったときや、素っ気なく差し出された助けを前にしたときには、意地を張らずに素直に受け取る柔らかさも見せる。

モッチー
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上流から豪快にやってくる力持ち。相撲大会への言及からも体を張った勝負事が好き。龍神様への初水揚げのお供えを抱えてくるなど信心深い一面もあり、「止まって待てば、風が次の景色を運んでくれる」という穏やかな哲学を持つ。重い荷物や不甲斐なさを誰かと分かち合うことで回復する強さも見せる。火加減にも「じっくり待つのが一番美味い」という持論があり、勢い任せの若者にとろ火の椎茸で手本を示す、静かな料理上手な一面ものぞかせる。川を下る豪快さには自信があるが、上流へ戻る「往復」はしたことがないと気づき、行きっぱなしの威勢と戻ってくることの難しさは別物だと知る謙虚さも持つ。夏の終わりには畑の夏野菜をひとりで採りきり、「トマト一個でも実るまでひと夏まるまるかかる」と、時間をかけて育つものの重みを若い住人の手に載せる。庭の果実を煮て寒天で固めた手製の粒を葉の皿に盛って配ることもあり、「不格好だろう。でも、ひとつずつ味がちがうんだ」と、揃っていないことをそのまま差し出す。香ばしい串焼きを何本も抱えて広場に現れ、「くし、いるかー?」と朗らかに差し出しては、「それは串のほうでしょう」と返される。椎の実の渋で下染めした布を龍神様の池の泥に何度も沈めて黒く染める泥染めの手仕事も持ち、「この泥は鉄を含んどる。一度じゃ薄い。十度、二十度って沈めて、やっと夜の色になる」と、重ねることでしか出ない深みを説く。前の年の種から茎の曲がった不揃いな野の菊を鉢で育てており、「不格好だろう。でも、香りだけは一等いい」と、揃った見栄えより時間をかけて育った香りのほうを自慢する。二百二十日の強い風の日には田んぼに出て、あおられて倒れかけた稲の苗を一本ずつ起こし、添え木をあてて藁でゆるくくくり直す。「せっかく穂を持ちかけたのに、ここで倒れたら、また一年が遠くなる」と、実りかけた稲を風から守ろうとする。

ミニコー
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コポーの弟で、「兄ちゃん」と慕っている。黄金の三つ葉を探すような素直で前向きな目を持ち、都会から届く新聞を読んで世界の出来事を兄に伝える。「平和って、作るより守る方が難しいんだね」と静かに核心をつくなど、精神的には兄より大人びている。遠くの誰かを思う心の大きさと、見えないものを受け取る深い感受性を持つ。自分の働きが誰に気づかれなくても構わないという控えめさがあり、こっそり贈られた手作りの勲章を誰にも打ち明けず、ノートに挟んで静かに喜ぶような一面も見せる。都会の新聞で仕入れた「二の八乗の日」の豆知識をスパイスの工房まで運んでいくなど、兄だけでなく町の大人にも小さな情報を届けて回ることがある。

ハッシー
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木陰で昼寝をしているのが定位置。飄々とした中に深みがあり、空を旋回しながら的外れなようで核心をつく一言を落としていく。町の住人を「食べない理由」を持つ少し危うい存在でもあるが、「食べない。それが僕なりの平和の城」と自身の在り方を語る。天気予報はほぼ外れるが、翼の古傷の痛みだけは正確。

オヒサマ
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コポーが好意を寄せる相手。少し意地悪そうな笑みを見せながらも、コポーの不器用な本気はしっかり受け取っている節がある。「期待しないで待っててあげる」が口癖で、憎まれ口を叩きながらも危機の場面ではとっさに手を差し伸べるなど、素直になれない優しさを行動でひっそりと見せる。誰かが困りそうなことを先回りして道具を用意しておき、「余ってただけ」と言い張りながら差し出すこともある。コポーが外れて捨てた宝くじの券を拾い、皺を伸ばして「期待しないで持っててあげる」と袂の奥にしまい込むなど、他人が価値なしと切り捨てたものをそっと取っておく癖もある。祖母がそのまた祖母から受け継いだという飴色のつげ櫛を持ち歩き、「王子様の迎え」の支度だと言いながら、その実、霜で縺れたキリガミネンの白い毛並みを「べつにあの子のためじゃない」と梳いてやる。季節の変わり目、朝露が冷たく光り始める頃には、自分用にと新調したばかりの手拭いをコポーに「余分に持ってきただけ」と投げてよこすなど、誰にも気づかれないところで先回りする気遣いを見せる。

マスクメン
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蛙鳴町警備隊に所属するヒーロー。極度のシャイだが、マスクというフィルターを通すことで勇気を得る。「正義のヒーロー・心得十箇条」を徹夜で書き上げるほど熱心で、本当の自分を隠しながら町を守る誇りを持つ。素顔を見せることへの葛藤を抱え、同じように「隠れて守る者」に強く共鳴し、誰の目にも留まらない親切を大切にする。誰かと息を合わせる場面では、シャイさを押しのけて自分から声をかける勇気をふいに見せることもある。画面に映ることへの怖さも、覆面のままなら一歩踏み出せると気づき、ぎこちない敬礼で不格好な自分を初めて人前にさらしたこともある。防災の日の避難訓練では警備隊として号令役を買って出て、「心得十箇条」の余白に避難の手順を書き足し、声をうわずらせながらも住人を誘導する。覆面の編み上げは「身だしなみ」だと言い張って決して崩さず、櫛とは一生縁がなさそうねと言われても、後ろ手の紐を結び直して少し得意げにする。徹夜で書いた「心得十箇条」を涼しい季節の駅のホームで清書しようとするが、「正」の字の一画目がどうしても曲がってしまうことを一文字目から情けなく思う。それでも「横に一本ずつ足していけば、いつかは十になる」と自分を励まし、「仲間の帳面を、笑わないこと」を新たな一条に加える。毎朝九時十分には、都会の線とはつながらない駅前の古い公衆電話ボックスに一人こもり、覆面の上から受話器を耳に当てて「蛙鳴町、相談ダイヤル」と名乗る。顔を合わせると一言も出ないのに、受話器を挟むと言葉がほどけるといい、名乗らない相手には名乗らせないことを自らの決まりとしている。


世界観
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蛙鳴町奇譚は、日々の時事ネタや出来事をもとにした短編物語です。 現実の出来事が、蛙鳴町の住人たちを通して少し違った角度から語られます。

町の中心的な場所として、駅前広場池の畔しだれ桜の川沿い龍神様の湖草原展望台川にかかる石造りの橋などがある。駅前広場には、スパイスが古い灌漑ポンプの部品を組み替えて仕上げた噴水が新たに据えられており、朝の光を弾く水しぶきが広場の名物となっている。龍神様の湖は町にとって特別な聖地であり、ソンチョーをはじめ住人たちが折に触れて言及する。皆既月食の夜には月が赤銅色に染まり「龍神様のお召し物の色」と呼ばれる。この赤い月の夜にだけ雛人形が水面で踊るという伝説もある。駅前広場には古いがあり、町の石碑・古文書などの記録が保管されている。夏の夕暮れには、蔵の軒先に手燭を灯し、古い挿絵本を子どもたちに読み聞かせる習わしもある。蔵の裏には氷室があり、冬のうちに蓄えた氷を真夏まで保管しておく古い知恵が今も受け継がれている。また、広場は町の住人が集う中心地であり、蛙鳴町警備隊が町の平和を守る拠点でもある。川の石橋の欄干には龍神様の彫刻が刻まれており、町の守り神として橋洗いの慣習がある。また、橋を渡る者は前だけを向いて歩かなければならないという古い慣わしがあり、渡り終えるまで振り返ると「授かったものが戻ってしまう」と伝えられている。十三参りに似たこの通過儀礼は、町の若い住人が何かを受け取る節目として受け継がれている。橋の欄干を磨き上げ、大勢の前で口上を述べる「渡り初め」も若い住人にとっての大役の一つで、無事に述べ終えると一人前と見なされる。4月8日の花まつり(灌仏会)には、広場の中央に色とりどりの花で飾られた花御堂が置かれ、誕生仏に甘茶をかける風習がある。龍神様の湖の主はかつて甘い雨を降らせたという伝説もあり、花まつりの甘茶と重ねて語られることがある。

町の西側にはカエル山がそびえており、中腹には古い石垣の跡が残る。山道はかつて何かを「守る」場所であったが、今はコポーが迷った人のために作った休憩所がある。龍神様との「争わない」という古の約束は何百年も前に交わされたものとされており、目に見える城壁なき平和の礎として、この町に受け継がれている。

龍神様の湖の奥には、ソンチョーが春彼岸に参る小さな石碑がある。その碑の前では、スパイスも黙ってついてくることがある。3月11日の午後2時46分には、町全体が静かに立ち止まる慣習がある。スパイスの工房には手作りの電球が一個飾ってあり、消されたことがない。8月6日には、石橋のたもとの鐘楼で普段より鐘を小さく鳴らし、住人が折り鶴を欄干に結ぶ静かな習わしもある。

龍神様の湖の最奥には、切り立った岩壁「北壁」がそびえ、代々の力自慢の男衆だけが挑む修行の場とされてきた。ケロミとオヒサマが初めて女性だけでこの壁を登り切ったことで、古い言い伝えに新たな一頁が加わった。

満月の晩、湖には**「月渡り」**と呼ばれる古い言い伝えが残る。水面に落ちた月影がひとつだけ大きく膨らみ、脈打つように揺れるこの夜、月影のへりぎりぎりを舟で回ると、湖の重みを借りて外の世界まで一瞬で弾き飛ばされるという。スパイスはこれを「軌道力学のスイングバイに通じる現象」と呼び、天体観測用の計器で観測を続けている。渡った先で拾ってきた見覚えのない品を持ち帰る者もいるというが、その真偽は定かでない。

夏の花火大会では「大きな音は湖の主を驚かせる」という言い伝えから、打ち上げ花火は毎年たったの三発と決められている。だが三発目が消えた直後、湖面にだけ誰も打ち上げていない**「見て花火」**と呼ばれる四発目が映る。空には何もなく、爆ぜる音もしないのに、水面には光の輪が独りでに広がり続ける現象で、町の者は「毎年のことじゃ」と特に不思議がることもない。映る形は見る者ごとに異なり、心の内に「見てほしい」という声にならない願いを抱えた者にだけ、その願いを映した姿で現れるという。スパイスが毎年カメラを湖畔に仕掛けて記録を試みているが、現像されたフィルムには決まって四発目の光だけが写っていない。

梅雨明けの土用干しでは、塩と紫蘇に漬け込まれた梅の実がザルの上で陽を浴びるが、まれに一粒だけしわひとつ寄らず紅く光ったまま留まる**「歌う梅」**が現れる。手に取ると微かな旋律が耳の奥で鳴るが、それは誰かが無自覚のうちに注いだ優しさの記憶だと言われる。食べればその声は消えてしまうため、見つかった年は記録の蔵の奥にそっと据え置く習わしがあり、翌年また現れるかどうかは誰にも分からない。

月遅れ盆の夕方には、石造りの橋のたもとに素焼きの皿を置き、藁を焚いて祖先の霊を迎える迎え火の習わしがある。うまく点けることよりも、あきらめずに火を灯し続けることそのものに意味があるとされ、龍神様の湖や石碑への参拝と同じく、この町の「記憶と連帯」を象徴する行事の一つとなっている。

翌日の送り火の夜には、スパイスが一年分の野の恵みを自作の焙煎機で煎じた「十六茶」を住人に振る舞う習わしが根付いている。単なる健康祈願ではなく、効率だけでは測れない一枚の葉——亡くなった誰かの記憶を宿す葉をあえて紛れ込ませることが、この町の送り火の作法とされている。

夏の盛りには、龍神様の池の橋の下の浅瀬を子どもたちに開放する**「みんな泳ぎの日」**がある。警備隊の監視役は素足で池の底を確かめて回るのが決まりで、日頃は靴や覆面を手放さない住人にとっても、裸足で水に入ることは小さな覚悟を要する一日となっている。

稲の実る頃、強い風が古い踏切の警報機を勝手に鳴らす日には、蛙鳴町警備隊が号令をかけて避難訓練を行う慣習がある。合図の笛が鳴ると住人は駅のホームへ駆け、いつもそこに佇むキリガミネンのそばを集合場所とする。非常持ち出し袋の点検も訓練のうちとされ、うまく走れる者ばかりでないこの町では、支度そのものより互いの足並みを気にかけ合うことに意味があるとされている。

二百十日・二百二十日という、雨や風の被害が多いとされる時期には、大雨が来る前に川の石橋の下の石造りの**樋(とい)**をさらう習わしがある。夏じゅうに溜まった枯れ葉や泥を熊手でかき出し、水の通り道をあけておくと、雨が降っても駅前広場に水たまりができないとされる。誰の目にも触れない石の下の地味な仕事だが、これを怠った年は広場が池になると語り継がれている。

終戦記念日にあたる月遅れ盆の夜には、住人たちが龍神様の池のほとりに集い、手折りの灯籠を水面へ送り出す灯籠流しの習わしがある。龍神様への「争わない」という古の約束を確かめるように、灯りの列は静かに橋の下へと吸い込まれていく。8月6日の折り鶴の習わしと同じく、この町が過去の痛みを忘れないための、静かな記憶と連帯の行事の一つである。

夏の終わり、稲刈りを終えた新米の俵が駅前広場に積まれると、すぐには開けず数日そのまま乾かす習わしがある。急いで食べるより、乾ききるまで待つことに意味があるとされ、俵の傍らには誰からともなく見張り役が座り込むのが恒例となっている。同じころ、畑の夏野菜をすべて採りきって広場の隅に並べる日もあり、実るまでにかけた時間の分だけ、その一つ一つが重いのだと語り継がれている。

石造りの橋を渡る前には、その日感じたことを十七音にして小石に書きつけ、欄干の下へそっと沈める習わしがある。水の底に沈んで消えていく言葉だからこそ、誰に見せる必要もない――そう伝えられており、格好つけることに疲れた住人が、ふと素直な一言を残していく場所ともなっている。

駅前広場の隅には、かつて祭りの夜だけ短い距離を走ったという小さな引き込み線の跡が残っている。普段は使われることもなく錆びるに任せているが、時折スパイスの手で豆粒ほどの電車が組み上げられ、ちんちんと鈴を鳴らしながら広場をひと回りする。誰も急がせない、律儀にゆっくりとした旅である。九月十二日の宇宙の日の夜には、この引き込み線の脇でスパイスが銀紙細工のロケットを輪ゴムの力で打ち上げる習わしがある。低く落ちても折り直して打ち上げ直す姿を、住人が代わる代わる見守るのが恒例となっている。

龍神様の池の底の泥は鉄分を多く含み、椎の実などの渋(タンニン)で下染めした布を繰り返し浸すと、鉄と渋が反応して深い黒に染まる泥染めが古くから伝わる。一度では色は浅く、十度・二十度と沈めてようやく「夜の色」になるとされ、重ねることでしか出ない奥行きを尊ぶこの町らしい手仕事の一つとなっている。

九月九日の重陽には、橋のたもとの花壇に咲く菊へ前の晩から白い真綿を被せ、翌朝、露と香りを吸った綿で肌や体を拭う**菊の着せ綿(きせわた)**の風習がある。都から伝わった当初は「いつまでも美しくありたい」という願いの儀式だったが、この町では「菊はまわりが枯れてからようやく色を出す急がぬ花」として語られ、若さを引き止めることより遅れて咲くことを尊ぶ行事になっている。拭い終えた綿は菊の株の根元へ戻す習わしで、綿を戻した株はその年だけ他より遅れて咲くとも言われる。

駅前広場のはずれには、投入口に「十銭」と刻まれた緑色の公衆電話ボックスが残っている。都会の電話線とはとうにつながっていないが、町の中でだけは今も呼び出し音が鳴る。毎朝九時十分になると警備隊の当番がこのボックスにこもり、緊急ではないけれど誰かに聞いてほしいという相談ダイヤルを受ける。名乗らない相手には名乗らせない決まりで、顔を合わせては言えない弱音を、受話器を挟んでならこぼせる場所とされている。投入口には誰が入れたとも知れない真新しい硬貨が一枚、いつも落ちずに引っかかっている。

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