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  1. 蛙鳴町(あめいちょう)奇譚/

ひと夏かけたトマト

川沿いのしだれ桜は、いつのまにか葉を厚くして、夕方の風にかさかさと鳴っていた。ヒグラシの声が少し遠くなって、駅前広場の石畳には、もう秋の匂いがうっすらと混じっている。

コポーは橋の欄干にもたれて、まっさらなノートを一冊、恨めしそうに眺めていた。表紙には自分の字で「カエル天下取り・ひと夏の記録」と大きく書いてある。夏のはじめ、広場でみんなに宣言したのだ。この夏をまるごと書き残して、いつか伝説にするのだと。中身は、まだ一頁も埋まっていない。

そこへ、ごろごろと重たい音を立てて、モッチーが荷車を引いてきた。荷台には、泥のついた夏野菜が山のように積まれている。真っ赤なトマト、太いきゅうり、ずんぐりしたナス。夕日を浴びて、どれも鈍く光っていた。

「見てくれコポー。畑のもの、今日でぜんぶ採りきったよ。このトマト一個だって、芽が出てからここまで、ひと夏まるまるかかってるんだ」

モッチーは細い目をさらに細めて、いちばん大きなトマトをコポーの手に載せた。ずっしりと、水の重みがあった。

橋のたもとの柔らかい土から、ぬっと大きな影が起き上がる。ペーシャンだった。土の匂いをまとったまま、のっそりとあくびをする。

「……よく寝た。長い長い夢を見ていた気がする。芽が出て、伸びて、実がなる夢を」

ペーシャンは荷車の野菜をひとつずつ撫でて、満足そうに、また土に半分埋まった。自分の見ていた夢が、ちゃんと形になったか確かめるように。

コポーは、手のなかのトマトをじっと見た。ひと夏かけて、この赤さになったもの。自分のノートは、その同じ夏を、まるごと白いままにしてしまった。

それでも、と思い直す。伝説になるような壮大な記録は無理でも、この一個の重さなら、正直に書ける。

コポーは欄干にノートを広げ、最初の頁に、ゆっくりと一行だけ書いた。「今日、ひと夏かけたトマトをもらった。おもかった。」

それから、その下に、赤いトマトの絵を小さく描き足した。

余白: 翌朝、広場のベンチに置き忘れられたノートには、トマトの絵の横に、誰かが描いた小さなきゅうりの絵が増えていた。

【本日の雫】

  • 野菜の日: 8月31日は「や(8)さ(3)い(1)」の語呂合わせから「野菜の日」とされ、1983年に食品関係の団体などにより制定された。
  • 夏休み最終日: 多くの地域で8月31日は夏休みの最後の日にあたり、宿題や自由研究の追い込みをする日として知られる。
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