蛙鳴町の記録の蔵の前に、埃をかぶったブラウン管のテレビが運び込まれた朝だった。八月の終わりの日差しは幾分和らぎ、蔵の壁を伝う蔦の葉が乾いた音を立てていた。
「今日でようやく直った……真空管の並びを整えるだけで、こんなに手こずるとはな」
スパイスが得意げに配線をつなぐと、画面にはノイズ混じりの光が灯り、やがて広場の様子がぼんやりと映し出された。
「せっかくだから、何か映してみようや。……マスクメン、ビピク、ちょっとそこに立ってくれんか」
声をかけられた二人は、揃って身をこわばらせた。
「ぼ、僕はその……覆面はいいけど、素顔で画面に映るのは……」マスクメンの声が布の奥でくぐもる。
「私も、完璧に見えなくちゃって思うと、うまく笑えなくて……」ビピクが長い睫毛を伏せた。
画面越しに映る自分の姿を想像するだけで、二人とも足がすくんでしまうのだった。池の方からは、夕方を待たずに鳴き始めた蜩の声が細く響いてくる。
それでもスパイスは急かさず、画面のノイズを弄りながらのんびり待っていた。
やがてマスクメンが一歩踏み出し、覆面のまま、ぎこちなく敬礼をしてみせた。ビピクはその隣で、いつもの完璧な微笑みではなく、思わず吹き出すような不格好な笑顔をこぼした。
ブラウン管の中では、覆面の男と笑いすぎた女の子が、ちらちらと揺れる光の粒になって映っていた。誰も文句を言わず、広場に集まった住人たちは、その不完全な映像に温かい拍手を送った。
「……悪くない、な」
マスクメンが小さくつぶやくと、ビピクも隣で頷いた。夕暮れの画面の中で、二人の不格好な影は、いつまでも揺れ続けていた。
余白: その夜、スパイスは録画したノイズ交じりの映像を、こっそり石碑の裏にあるアーカイブ棚に加えていた。
【本日の雫】
- テレビCMの日:1953年8月28日、日本で初めてテレビコマーシャル(精工舎の時計店の広告)が放送されたことにちなむ記念日。
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