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  1. 蛙鳴町(あめいちょう)奇譚/

風呂敷ひとつの旅心

蛙鳴町の駅前広場に、真新しい風呂敷包みがひとつ、行儀よく置かれていた。夕暮れ前の噴水が朝より控えめな水音を立て、しだれ桜の影が長く伸びている。

「……よし。これで、いつでも旅に出られる」

コポーは麦わら帽子を目深にかぶり、風呂敷の結び目を何度も締め直していた。中身は着替えと、干し草で編んだ草履が一足。行き先はまだ決めていない。

「兄ちゃん、また入れ忘れてるよ」

弟のミニコーが差し出したのは、油紙に包んだ塩むすびだった。「腹が減っては、旅もできないでしょ」と、いつもの通り兄より先に核心を突いてくる。

しだれ桜の下のベンチから、ソンチョーの「フェっフェっ」という笑い声が聞こえた。

「ほう、ついに旅支度か。……儂も昔は、風呂敷ひとつで世界の果てまで歩いたものじゃ」

「じゃあソンチョー、僕にも旅の心得を!」

意気込むコポーに、老人は桜餅を頬張りながらゆっくりと首を振った。

「心得などいらん。ただひとつ、行った先でどれだけ格好つけても、帰る場所を思い出せんようでは、旅は旅にならんぞ」

コポーは風呂敷の結び目に指を這わせ、ふと足元の敷石を見つめた。噴水の水音、ミニコーが握ってくれたおむすびの温もり。行き先を決めるより先に、戻る場所はもう決まっているのだと、今さらのように気づいた。

「……やっぱり、日帰りにしとくよ」

風呂敷を解き、塩むすびをその場で頬張るコポーの隣で、ミニコーが小さく笑った。夕暮れの光が、二人の影を駅前広場に長く伸ばしていった。

余白: 風呂敷はその晩も、結び目をほどききれないまま、コポーの部屋の隅にそっと置かれていた。

【本日の雫】

  • 男はつらいよの日:1969年8月27日、山田洋次監督・渥美清主演の映画『男はつらいよ』シリーズ第1作が公開されたことにちなむ記念日。
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