夕暮れの駅前広場に、スパイスの新作――小さなヤカンからほんの一瞬で白い湯気が立ちのぼる「瞬間湯沸かし器」が据えられていた。
「モデルの仕事、あと五分で撮影が始まるのに……」
ビピクは手のひらのカップ麺を見つめ、眉を寄せた。都会の現場はいつも「今すぐ」を求めてくる。完璧な笑顔も、完璧な湯気も、待たせることは許されない気がしていた。
「……はぁ」
ため息をついた拍子に、カップのふちへ白い息がかかる。ふと顔を上げると、ホームの端にキリガミネンが佇んでいた。誰に呼ばれたわけでもないのに、夕闇の中でひときわ白く、ひやりと涼しい影を落としている。
ビピクが差し出したカップに、キリガミネンはそっと鼻先を寄せた。とたん、猛っていた湯気がふわりと和らぎ、ちょうどいい湯加減に落ち着く。
「……ありがとう。でも、まだ食べられないの。あと三分、待たなきゃ」
瞬間で沸かした湯でも、麺がほどけるまでの三分間だけは、どうしても省略できない。ビピクは苦笑いを漏らし、カップを両手でそっと包み込んだ。
キリガミネンは何も言わず、ただ隣に腰を下ろす。火照った頬に、その冷たい体温がちょうどよく染みていった。
広場の時計が時を刻み、三分が経つ。ふたを開けると、立ちのぼる湯気の向こうから、撮影クルーの呼び出し声が響いてきた。
「……行ってきます」
ビピクは麺を一口すすり、湯気の温もりを唇に残したまま立ち上がる。カップの底には、まだ少しだけ、名残惜しそうに揺れる湯気が残っていた。
余白: その夜、キリガミネンが座っていたベンチにだけ、翌朝までかすかに湯気の匂いが残っていた。
【本日の雫】
- 即席ラーメン記念日:1958年8月25日、日清食品が世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発売したことにちなむ記念日。
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