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  1. 蛙鳴町(あめいちょう)奇譚/

つばの傾け方

朝靄の残る駅前広場に、ソンチョーの黒いシルクハットが朝日を跳ね返していた。いつものベンチで桜餅を頬張るその姿に、コポーが息を弾ませて駆け寄ってくる。

「ソンチョー! そのハット、貸してくれよ! 今日という今日は、僕もキメてやるんだ!」

かぶった瞬間、つばが眉の下まですっぽりと落ちてきて、コポーの視界は真っ暗になった。よろめいた拍子に踏切の柵にぶつかりそうになるのを、通りかかったタッチーが長い脚でひょいと支える。

「フッ……サイズも合わないハットに手を出すとは、まだまだだね」

得意げに言いながら、タッチー自身も橋のたもとで拾ってきたという古びた麦わら帽子を頭に乗せていた。しかしその短い腕では、ずり落ちてくる帽子のつばを直すことができず、視界の端で何度も帽子が傾いていく。二人して情けない格好で立ち尽くすのを見て、ソンチョーがフェっフェっと笑った。

「ハットというのは、頭の大きさに合わせるものじゃない。……その日の風向きに合わせて、つばを傾けるものじゃ」

そう言って、ソンチョーは自分のシルクハットのつばを指先でわずかに傾け、朝日を遮ってみせた。冒険家だった時代、灼熱の砂漠でも極寒の山でも、このハットのつばの角度ひとつで仲間の顔に影を作ってやったのだという。コポーとタッチーは顔を見合わせ、それぞれの帽子のつばに、恐る恐る指を添えてみた。ほんの少し傾けただけで、まぶしかった朝日が驚くほど柔らかく頬を撫でる。

「……あ。ソンチョーの顔、いつもより涼しそうに見えてた理由、これか」

つぶやくコポーの隣で、タッチーも黙って自分の帽子の角度を調整していた。三人分の影が、少しずつ違う角度で石畳に落ちていた。

余白: その日の夕方、ソンチョーはシルクハットの裏地に、二人分の小さな指の跡がついていることに気づいたが、何も言わずに帽子を棚へしまった。

【本日の雫】

  • 帽子(ハット)の日: 8月10日は全日本帽子協会が制定した記念日。「ハッ(8)ト(10)」の語呂合わせに由来する。
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