夕暮れの蛙鳴町は、まだ日中の熱をたっぷり抱えたまま、蝉の声だけが名残惜しそうに響いていた。井戸端の湯気は夜風にほどけ、龍神様の池の匂いと混じり合う。
「やっぱりダメだよ、ソンチョー様! 今夜くらい水浴びで十分だってば!」
コポーが両手を振り回して抗議する先には、しだれ桜の下に急ごしらえされた木製の浴槽があった。湯気を上げるそれは、ソンチョーが毎年この時期になると持ち出す、龍神様の湯だ。
「ふぇっふぇっ。暑い日こそ、湯に浸かって体の芯から巡らせるのじゃ。冷たい水はその場しのぎに過ぎん」
古びた鍼灸箱を撫でながら、ソンチョーが目を細めた。世界を巡った彼の指先は、体の芯の冷えと表面の火照りの違いを見分けることができる。
そこへ、汗だくのスパイスが台車を押してやってきた。台車には、ジャンクパーツを繋ぎ合わせた奇妙な送風機と、氷を仕込んだ竹筒が山積みになっている。
「待たせたな。表面は涼しく、芯はぽかぽか……そういう我が儘、ちゃんと形にしてきたぞ」
浴槽の縁に送風機を取り付けると、ふわりと冷えた風が湯気を撫で、竹筒の氷がからんと涼しい音を立てた。
コポーは半信半疑のまま湯に足を浸し、思わず「うわ」と声を漏らす。熱いはずの湯が、涼しい風にくすぐられて心地よい。
「……悔しいけど、これは……気持ちいい」
小さくつぶやいた声は、蝉の声にかき消される寸前だった。隣で、ソンチョーがフェっと笑いを噛み殺すのに必死になっていた。
余白: その夜、コポーは湯上がりの火照った顔を隠すように、いつもより早口で「おやすみ」を言った。
【本日の雫】
- 夏風呂の日:7月26日。暑い夏でも湯船に浸かることを勧める記念日。