蝉の声が高く降り積もる夕暮れ、蔵の軒先には手燭が一つ灯されていた。湿った土と古紙の匂いがこもる中、ソンチョーが古びた挿絵本を膝に広げ、フェっフェっと笑いながら子どもたちに読み聞かせている。
「頭に皿を乗せた河童という生き物がおってな。あの皿の水が渇けば、たちまち力を失うそうじゃ。逆に、誰かが水を満たしてやれば、また元気を取り戻すという」
池のほとりでうたた寝していたペーシャンが、その声にぴくりと片目を開けた。子どもの一人が指をさし「ペーシャンって、河童に似てるね」と無邪気に笑う。他意はないとわかっていても、モチモチの背中がわずかに縮こまり、水面に映る自分の輪郭から目をそらした。
「……僕は、河童じゃない」
小さな呟きは誰にも届かず、ペーシャンはのそりと水辺に背を向けかけた。
そこへ夜回りの途中だったマスクメンが通りかかる。覆面越しの目が、ペーシャンの丸まった背中をじっと見つめた。
「その皿の話……本当は、誰かが水を注いでくれるから、渇かずに済むんじゃないでしょうか」
低く、けれど確かな声だった。マスクメンは手のひらに池の水をそっとすくうと、迷いのある足取りでペーシャンの傍らに歩み寄る。
「ぼ、僕も覆面がないと、上手く喋れない臆病者です。……皿も、覆面も、隠すためじゃなくて、誰かと繋がるための場所なのかもしれません」
分厚い手が、そっとペーシャンの頭に水をかけた。ひんやりとした感触に、ペーシャンの目がゆっくり開く。丸まっていた背中が、少しだけ伸びた。
「……ありがとう」
短い言葉に、マスクメンの覆面の奥で目が細くなった。ソンチョーは本を静かに閉じ、蝉の声に紛れて小さく笑った。しだれ桜の葉が一枚、音もなく池に落ちた。
余白: その夜、マスクメンは蔵の裏で覆面をそっと外し、火照った頬を月明かりに晒していたが、それを見た者は誰もいなかった。
【本日の雫】
- 河童忌(かっぱき): 7月24日は、大正・昭和初期の小説家・芥川龍之介の1927年の忌日。代表作『河童』にちなみこう呼ばれる。
- 劇画の日: 1964年7月24日、劇画雑誌「ガロ」が創刊されたことにちなむ記念日。