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  1. 蛙鳴町(あめいちょう)奇譚/

蛙鳴町奇譚:龍灯虫

梅雨明けの蒸し暑い宵、龍神様の湖畔に、蛍とも違う淡い青緑の光が無数に瞬いていた。羽音はなく、風に流されることもない。住人たちはそれを「龍灯虫(りゅうとうむし)」と呼び、夏の初めにだけ現れる不思議な光として、特に驚きもせず眺めていた。

ビピクは湖畔のベンチに腰掛け、その光の粒をぼんやり見つめていた。

「……綺麗」

呟いた途端、彼女を囲むように、光の群れがふわりと集まり、心なしか強く瞬いた。

「あら」

隣に座っていたタッチーが、長い脚を持て余しながら首をかしげる。「今の、光が強くなったな」

「気のせいよ、きっと」

ビピクはそう言ったが、内心では別のことを考えていた。——本当は、完璧でいることに疲れた、と誰かに言いたかった。その言葉を飲み込んだ瞬間、また虫たちがひときわ強く光った。

「……もしかして」タッチーが目を細める。「言えなかった言葉の分だけ、光るんじゃないか、これ」

試しに、タッチーは自分の秘密を口にしてみた。「実は、僕の靴の中敷きは自分で作ってる。届かない頭には目をつぶって……格好つけてるだけで、本当は不格好なんだ」

言い終えると、光は強まらなかった。すでに口に出した言葉には、虫は反応しないらしい。

スパイスが計測端末を片手に駆けつけ、光量を記録しながら唸った。「発光量と……未発話の音節数に、相関がある。だが、なぜ虫がそれを“知る”のかまでは、測定できん」

ビピクはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。

「本当は、完璧じゃなくてもいいって、誰かに言ってほしかった」

その一言を口にした瞬間、彼女を囲んでいた光は静かに散り、湖面へと吸い込まれるように消えていった。夜風だけが、涼しく頬を撫でていく。

「言えたじゃないか」タッチーが笑う。

「……あなたのおかげよ」

翌朝、湖畔には虫の死骸も抜け殻も、光の跡すら残っていなかった。ただ一匹だけ、ビピクの髪飾りにとまったまま動かない小さな光が、以降も夜になると、彼女にしか見えないほど微かに灯り続けているという。

余白: スパイスの記録した発話音節数と発光量の相関式は、翌年以降どれだけ測り直しても、二度と同じ数値を示さなかった。

【奇譚の核(しん)】 ・固有現象:龍神様の湖畔に現れる「龍灯虫」——言えなかった言葉の数だけ光を強め、口に出せば静かに消える発光する虫。 ・隠されたテーマ:誰かに聞いてほしかった本音は、光になってでも滲み出る。