夏の朝の、青々と茂るしだれ桜の葉が、龍神様の川面へひんやりとした影を落としていた。七月の強い日差しは水面で跳ね返り、石橋の古い欄干をまぶしく照らしている。
ビピクは、欄干にそっと両手を預け、ゆっくりと深呼吸を繰り返していた。都会のスタジオの、どこまでも均一な照明の下とは違って、ここの光は気まぐれだ。泥や川藻の匂いをはらみながら、不規則に揺れている。
「……均一じゃない。だから、こんなに眩しいのね」
彼女が小さくため息をついたとき、背後から金属が擦れるような、カチャカチャとした音が響いた。
振り返ると、スパイスが川原の石の上に座り込み、古いレンズのついたピンセットで、小さな透明なガラス片を磨いていた。
「何を作っているの、スパイス?」
「都会の廃材置き場で見つけた、ただの分厚いガラスの欠片だ」
スパイスは目を細め、指先でその欠片を掲げた。その表面には、細かく交差する無数の細い溝が刻まれている。
「少し削り方を間違えたらしく、溝の深さが不揃いだ。工業製品としては不合格品だな」
「でも……とても綺麗」
ビピクがのぞき込むと、スパイスはそのガラス片を彼女のてのひらに乗せた。
太陽の光がガラスを通り、ビピクの白い手のひらの上に、細かな光の格子を映し出した。それは、川面で揺れる小魚の鱗のようであり、伝統的な「魚子(ななこ)紋」と呼ばれる、繊細で複雑な光の幾何学模様だった。
「完璧な機械なら、狂いのない等間隔の格子を作る」スパイスは短く言った。「だが、これは手作業のわずかなブレがある。そのおかげで、通過した光が干渉し合い、ただの格子ではなく、生きている川の揺らぎのようなきらめきが生まれる」
ビピクは、手のひらの上で揺れる光の鱗を見つめた。風が吹いて川面が波立つと、手のひらの影もまた、まるで本物の小魚の群れが泳いでいるかのように滑らかに動き、すり抜けていくように見えた。
ビピクの口元に、いつもカメラの前で作る完璧な笑顔ではない、少しだけ非対称で、あどけない笑みがこぼれた。
「不完全だからこそ、こんなに優しい光になるのね」
スパイスはそれを見て、無言で作業工具を片付けると、ガラスの欠片をビピクの手の中にそっと握らせた。
余白: その夜、ビピクの部屋の窓辺には、月明かりを浴びて不揃いにきらめくガラスの欠片がそっと置かれていた。
【本日の雫】
- 江戸切子の日:江戸切子の代表的な紋様である「魚子(ななこ)」の語呂合わせ(なな(7)こ(5))から、東京カットグラス工業協同組合が制定。手作業によるカットが生み出す不均一できらびやかな光の反射が特徴。