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  1. 蛙鳴町(あめいちょう)奇譚/

まだ半分ある

七月の最初の朝は、霧雨ではじまった。

コポーは、スパイスの工房から無断で借りてきた古い短波ラジオを、龍神様の池のほとりにある平たい石の上に据えた。アンテナを精一杯伸ばしたものの、届いてくるのは遠い空の雑音だけだった。ラジオの外側には、古いテープで「スパイス物品・無断持出禁止・三日腹ぺこの刑」と書いてある。コポーは気にせず、ダイヤルを右に一ミリ、また一ミリと回した。

「今日から決勝トーナメントだ。負けたら終わり、引き分けもない」

池の霧の中から、朝刊を小脇に抱えたミニコーが現れた。石の隣にちょこんと腰を下ろして、「フランス対スウェーデンが一番乗りだって。日本時間の早朝にはもう始まってるよ」と言った。

「じゃあ今まさに、どこかのスタジアムで誰かが走ってる」

「走ってる」

コポーはそれきり黙った。霧雨が池の面を細かく叩いていた。蝉の声もまだなく、しだれ柳の葉先から雫がぽたりと落ちた。こんな田舎の静かな朝と、スタジアムのどよめきが、今この瞬間ひとつながりの時間の中にあるのが、なんとなく不思議だった。

「日本は」

「昨日負けた」

コポーはダイヤルから手を離した。池の面が霧雨を一粒ずつ受け止めていた。

「今年も半分終わったな」

「うん。でも、残りの半分は、まだ全部あるよ」

ミニコーが池の水面を見ながら言った。コポーはうなずきもせず、もう一度ダイヤルを回した。雑音の奥から、一瞬だけ、どこかのスタジアムの熱気のかけらが届いた気がした。言語も国もわからない歓声が、蛙鳴町の朝の霧雨にまぎれ込んで、龍神様の池にゆっくり溶けていった。

余白: 夕方、コポーがこっそりラジオを返しに行くと、スパイスは何も言わず、新しいアンテナをテーブルの端に置いていた。


【本日の雫】

  • FIFAワールドカップ2026 決勝トーナメント1回戦開幕: 7月1日よりノックアウトステージがスタート。フランス対スウェーデンほか複数試合。グループステージを勝ち抜いたチームによる一発勝負。北米各地で開催中。
  • 年の折り返し: 7月1日は一年の182日目。残り183日。