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  1. 蛙鳴町(あめいちょう)奇譚/

愛こそはすべて

梅雨の合間、橋の欄干に腰を落ち着けたハッシーが、くちばしで器用に都会の新聞をめくっていた。

「なあ、ケロミ」

しだれ桜の根元に座って野イチゴをつまんでいたケロミが顔を上げた。

「昔、ある夜に、四億人が同時に同じ歌を聴いたんだって。衛星の電波でつないで、世界中が同時に」

「四億人」ケロミはゆっくり繰り返した。「ちょっと想像できないね」

川面が揺れていた。龍神様の池の方から、梅雨の湿った空気が流れてくる。

「愛こそはすべて、っていう歌だったらしい」

ケロミは野イチゴを一粒、口に含んだ。甘みと酸っぱさが、同時に舌の上で広がる。

「その四億人は、愛を受け取ったの?」

ハッシーは翼の骨の感触を確かめるように、静かに羽根を広げた。明日の雨を告げる鈍い疼きではなく、何か別の、静かな振動が骨の奥にあった。

「分からない。でも、同じ瞬間に、同じものを聴いた人間が四億いたんだ」

ケロミは少しの間、水面を眺めた。広場の方から、遠く和音壁が低く響く気がした。誰かが口笛でも吹いたのか、柔らかい音が石の向こうから漏れてきた。

「ハッシー、あのね」ケロミは草の上に手をついた。「私ね、歌うとき、届いてるかどうか、時々不安になるよ」

翼の骨の、静かな振動が続いていた。

「届いてるよ」

ハッシーは淡々と言った。感傷を込めず、報告するみたいに。

「骨が教えてくれるの?」

「そう」

ケロミは声を上げて笑った。しだれ桜の葉が揺れ、川面にその影が揺り動いた。

愛がすべてかどうかは、ハッシーには分からない。でも、四億人が同時に聴いた歌が世界を変えたかどうかよりも、今、この川沿いで骨が静かに震えている事実の方が、確かなような気がした。

夕方の気配が近づき、遠くからモッチーが荷車を引く音が聞こえ始めた頃、ケロミの声が蛙鳴町の川沿いを静かに流れていった。

余白: その夜、龍神様の池の底から、梅雨空に向けて微かな音が湧き上がった。翌朝、水面には波紋ではなく音符のような小さな跡がひとつ残っていたが、誰も数えようとしなかった。

【本日の雫】

  • Global Beatles Day(世界ビートルズの日):1967年6月25日、人類初の世界規模の衛星中継ライブ放送「Our World」でビートルズが「All You Need Is Love(愛こそはすべて)」を披露。推定4億人以上が同時に視聴した。