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  1. 蛙鳴町(あめいちょう)奇譚/

島の声が届く日

梅雨の湿気の奥に、台風の気配が忍び込んでいた。

蛙鳴町の駅のホームでは、キリガミネンが白い体を柱に預けて、じっと南の空を見上げていた。いつもならば往来する人々の間にひんやりとした空気の島を作るだけで十分な彼が、今日は珍しく、誰かに話しかけたそうにしている。雲の淵がほんのり橙を帯び、風は湿っているのにどこか低く、重い。

「今日は……静かに、していなければならない気がする」

ぽつりとこぼれた言葉に、自分でも少し驚いたように白い鼻をぴくりとさせた。

広場の外れでは、マスクメンが警備の持ち場についていた。いつもであれば「正義のヒーロー心得十箇条・第三条——巡回は大股で!」と心中で復唱しながら闊歩するところを、今日はほとんど動かない。マスクの奥の目が、静かに石畳を向いている。

そこへ、ケロミが小さな籠を持って通りかかった。

「今日って……」とケロミが言いかけた。

「うん」とマスクメンは返した。それだけだった。

ケロミは続けなかった。いつもより低い声で、歌にもならない音を一小節だけ口の中で転がして、それも止めた。籠を両手で抱え直して、静かに行ってしまった。

キリガミネンはホームの端まで歩き、南を向いた。ヒヤッとした体が、梅雨の空気をわずかに冷やした。その冷たさは不快ではなく、どこか息をつきたくなるような静けさをもたらした。

「遠い島から来る風は、何かを運んでくる」

誰に言うでもなく、そうつぶやいた。

マスクメンがゆっくりとそちらを向いた。その手が、無意識に胸の前で止まった。英雄の心得でも、巡回の規則でもなく——ただ、立っていること。今日のここに、いること。それだけが自分にできることなのかもしれない、とマスクの奥で思った。

龍神様の湖の方角から、一羽の鳥が南へ向かって飛んでいった。

台風はまだ来ない。蛙鳴町は静かだった。

余白: その夜、マスクメンが書き直した「正義のヒーロー心得十箇条」の第一条には、「黙って、立っていること」と記されていた。

【本日の雫】

  • 沖縄慰霊の日(6月23日):1945年の沖縄戦における組織的戦闘が終結した日。沖縄県では毎年この日、戦没者を悼む慰霊祭が執り行われる。
  • 台風7号(メッカラ):フィリピンの東海上で「非常に強い台風」に発達し、沖縄への接近が予報されている。