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  1. 蛙鳴町(あめいちょう)奇譚/

渡した光

夏の匂いが滲み始めた広場に、スパイスが組み上げた即席の映写幕が青白く光っていた。

「ワールドカップ、グループステージ。アルゼンチンの試合だ」

スパイスは改造スピーカーの配線を直しながら、それだけ言った。配線が古い街灯にからまり、石畳からの反射光がスクリーンの端を照らしていた。

コポーは腕を組み、画面の正面に陣取った。 「ふふん。世界一の選手が、世界一の舞台で一人でぜんぶ持っていく——そういう話だろ?」 「……チームスポーツだけど」

スパイスのひと言を聞こえなかったことにして、コポーは龍神様の湖から漂う初夏の霧を深く吸い込んだ。

試合が始まると、ケロミの鼻歌がどこかから流れてきた。用意された歌でも、誰かへの合図でもなく、ただそういう夕方だったのだろう。気づくと広場にはいつの間にか人が増えていて、池の水面が残照を映してゆったりと揺れていた。

後半、十番の選手がゴール前でボールを受け取った瞬間、コポーは前に乗り出した。 「来た! ここで撃て、俺ならここで撃つ——!」

しかし選手は一呼吸置いてから、右のスペースへ横パスを出した。

誰も注目していなかった選手が走り込んでそれを受け取り、足が弧を描くと、ボールはゴールの隅へ静かに沈んでいった。

「……」

コポーは何も言えなかった。 画面には、ゴールを決めた選手ではなく、パスを出した選手の顔が大きく映っていた。その選手はゴールした瞬間、目を閉じて、小さく空を仰いだ。

「あの男は、自分の光を渡したんじゃ」

しだれ桜の木陰から、ソンチョーがしずかに言った。 「ゴールより重い一瞬がある——自分が輝くのではなく、輝ける場所を誰かに渡す。それを選べた者だけが、後から本当に光るものじゃ」

コポーは答えなかった。池の水面に初夏の星がひとつ映り、蛙鳴町の夜がゆっくりと動き始めた。

余白: その夜、コポーは白紙のノートに、ゴールを決めた選手の名前ではなく、パスを出した選手の背番号だけを書いた。


【本日の雫】

  • FIFAワールドカップ2026(グループステージ): アメリカ・カナダ・メキシコの三か国共催で開催中のFIFAワールドカップ2026。6月22日はグループJにて前回覇者アルゼンチンが試合を行った。