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  1. 蛙鳴町(あめいちょう)奇譚/

風便り

六月の風が、龍神様の池の面をさわさわと撫でていた。

コポーは池の縁に腰を下ろし、膝の上の白い紙をじっと見つめていた。ペンは右手に握られたまま、一文字も書かれていない。

「……うーん」

風が吹くたびに紙の端がめくれ上がり、コポーはそのたびに手で押さえた。日差しは明るかったが、空気がどこか透き通っていて、空の青が妙に深く見えた。新月の日は、いつもより空が広い気がする。

ミニコーが小さな荷物を抱えて池のそばを通りかかり、兄の後ろ姿に気づいて足を止めた。

「何してるの、兄ちゃん」

「……手紙」コポーは振り返らずに答えた。「書こうとしてるんだけど、書けなくて」

ミニコーは荷物を置いて、兄の隣に腰を下ろした。六月の風が二人の間をすり抜けていった。

「誰に?」

コポーはしばらく黙った。「それが言えたら苦労しないんだよ」

「なんで書こうと思ったの?」

「……言葉にしたら、ちゃんと残ると思って」コポーがつぶやく。「でも、何を残したいのかが、わかんない」

ミニコーは池の水面を眺めた。風が吹くたびに光の破片が揺れている。

「風って、何も持ってないのに届くじゃん」と、ミニコーが静かに言った。「書かなくても、もう届いてるのかもよ」

コポーは白い紙を見た。

それから、ゆっくりと折り始めた。手紙としてではなく、不格好な紙飛行機として。池に向かって、そっと手を離した。

飛行機は三秒だけ六月の風に乗り、池の面にそっと降りた。

「届かなかったね」とコポーがつぶやくと、

「届いたよ」とミニコーが答えた。

どこへ、とは聞かなかった。

余白: その日の夕方、龍神様の池の底で白い紙飛行機がゆっくりとほどけた。何も書かれていなかったが、龍神様はしばらくの間、その白い紙の余白を見つめていた。

【本日の雫】

  • 世界風の日(Global Wind Day):6月15日は、風エネルギーの大切さと可能性を世界に伝える国際的な記念日。風は形を持たず、ただ通り過ぎるだけで何かを届ける。
  • ふたご座新月:2026年6月15日11時55分。言葉・情報・コミュニケーションがテーマの新月。始まりの静けさの中に、言葉にならない想いが宿る。