六月の白昼、蛙鳴町の石畳が金色の薄膜に覆われた。
広場の中央から渦を巻くように浮かび上がった文様は、踏みならされた石の継ぎ目を縫って外周へと広がり、まるで巻き貝の断面図を地面に刻み込んだかのようであった。誰かが気づいて声を上げる前に、その輝きは消えた。しかし広場の石畳の配置が微妙に変わったことに、スパイスだけは気づいた。
「……一対一・六一八」
工房に戻ったスパイスがノギスとデジタルキャリパーで測りはじめると、橋の欄干の縦横比、しだれ桜の枝の股から節までの間隔、龍神様の祠の石の配置——あらゆる比率が、同じ数字へと収束した。黄金比。それが蛙鳴町のあらゆる構造物に刻み込まれていたことを、スパイスはその日の午後遅くまで計測し続けて確かめた。
「昔から、ですよ」
夕刻、駅のホームに佇むキリガミネンが低い声で告げた。白くまの体から漂う冷気が、六月の蒸し暑さの中に細い刃のような清涼を差し込んできた。コポーがその隣に立ち、「いつから知ってたんですか」と問うと、キリガミネンはただ首を傾けた。
「数えるより前から、かな」
石畳の白昼の文様については、帰ってきた住人たちにそれぞれ聞いても確認できなかった。見た者もいたが、「気のせいだろう」と思って特に語らなかったのだという。
「美しいものには理由があるのじゃ、フェっ」
しだれ桜の下でソンチョーが古びた書物を開き、螺旋状の図版を指さして笑った。「鸚鵡貝の渦も、ひまわりの種の並びも——自然が最も安定する比率は決まっておる。何千年も争わずに平和を保つ町が、その比率で造られているとしても、不思議はあるまいよ」
コポーは広場の石を踏んで、足の裏に伝わる感触を確かめた。いつもと変わらない、ざらついた冷たさだった。なのになぜか、足の裏が何かを数えているような気がした。
「……僕も黄金比で出来てたりする?」
キリガミネンがおもむろにメジャーを取り出した。頭頂から臍まで、臍から足の裏まで。スパイスが計算機を操作し、結果を見て一度口を噤んだ。しばらくして「……誤差の範囲内、かもしれない」と だけ言い、計算機を胸のポケットにしまった。
「美しさは、知るものじゃなく感じるものでしょう」
キリガミネンの指先がコポーの額にわずかに触れた。冷たく、それでいて不思議なほど落ち着く感触だった。
翌日からコポーは、何かを見るたびに二つの長さを比べる癖がついた。石の横と縦。広場の幅と橋の高さ。三と五、八と十三——どこを向いても、町が自分を知っているような親しみがそこにあった。それが美しいのか不気味なのかは、コポーには判じかねた。
余白: その夜スパイスが非公開フォルダに保存したデータには、コポーの体比率が「一・六一七九九九……」と続く無限小数であり、最後の桁だけが永遠に確定しないことが記録されていた。
【奇譚の核(しん)】
- 使用した固有現象:六月白昼に石畳へ顕現する黄金螺旋の刻印
- 物語の隠されたテーマ:美しさの根拠を「測ること」と「感じること」の間に残る、埋まらない差分