蛙鳴町に七つの橋がある。
誰もそれを疑わない。数えても六つしか見つからなくとも、七つある、と古老たちは言い、住人たちはそれを信じ、そして数えることをやめる。数えることをやめた者だけが、この町の時間に馴染むことができる——それが蛙鳴町の流儀というものである。
初夏の霧雨が踏切の向こうから滲み込んでくる頃、都会から一人の男がやってきた。薄い体躯に擦り切れた革鞄、眼鏡の奥に疲弊と執念を等量に押し込めた目をした研究者だった。彼の名を誰も尋ねなかった。尋ねる必要がないと、全員がどこかで感じていた。
「橋の問題というものがある」と男はスパイスの工房の前で言った。「十八世紀の数学者が証明した。奇数の辺を持つ頂点が三つ以上存在するとき、全橋を一度ずつ渡る経路は存在しない——オイラーの定理だ。だがこの町に七つ目の橋があるとすれば、計算が変わる可能性がある」
スパイスは廃材のサーキットボードから目を上げず、「七つ目は渡れない」とだけ答えた。「数学の問題ではない」
その夜、男は橋を渡り始めた。第一の橋、第二、第三、第四、第五、第六。必然的に行き詰まる。川霧の中で立ちすくむ男のかたわらに、柳の陰からソンチョーが音もなく近づいた。
「七番目を探しておるのかね」
「存在しない橋を?」男は振り返った。
「フェっフェっ。存在しないのではない。渡れないのじゃ」ソンチョーは霧雨の中で杖をついた。「七番目の橋というものはな、渡ろうとする意志を感知する。感知した瞬間に——橋は渡れなくなる。それが龍神様との、ずっと昔の約束じゃ」
「論理的ではない」
「論理の話ではない。約束の話じゃ」ソンチョーは静かに笑った。「かつてここで、全橋を渡り切った者が一人だけいた。その者は翌朝、この町から消えた。荷物も、足跡も、他の者の記憶も——全て残して。ただ当人だけが、どこへともなく」
水面のどこか特定できない場所で、欄干が誰も渡らないうちに低く鳴った。鉄が歪む音ではなかった。何か、もっと古いものが息をする音だった。
研究者は翌朝、踏切の手前に戻っていた。七番目の橋は渡っていなかった。不可能の証明は手帳の中で完成していた。しかし一頁だけ、昨夜の記録が白紙になっていた。
コポーはその朝、川辺に置き忘れられた革鞄を見つけた。中には分厚い数式のノートと、蛙鳴町の手書きの地図。地図には七つ目の橋の位置が鉛筆で丸く囲まれていた。その橋は——蛙鳴町のどこにも存在しない場所にあった。
余白: 川辺の革鞄は翌日には消えていたが、スパイスのサーキットボードには、誰も設計していない回路が一本だけ増えていた。
【奇譚の核(しん)】 ・七番目の橋:渡ろうとする意志を感知して渡れなくなる橋。全橋を渡り切った者は翌朝消える(龍神様との契約) ・隠されたテーマ:「数学的な不可能」と「龍神様の約束による不可能」が、同じ答えを出す奇妙な一致