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  1. 蛙鳴町(あめいちょう)奇譚/

時の滴

龍神様の池の畔に、見慣れぬものが置かれていた。

木と銅板で組まれた段付きの箱。上の段から水が細い糸のように落ちて、下の段に溜まる。そこからまた次へ。溜まっては落ち、落ちては溜まる。

「なんすかこれ」

コポーは首を伸ばして銅板に刻まれた目盛りをのぞき込んだが、足元の水溜まりに足を取られ、盛大にひっくり返った。

「ぐえっ」

しだれ桜の根に腰を下ろしていたソンチョーが、桜餅の葉を丁寧に外しながら振り向きもせずに言った。「漏刻じゃ」

「ろうこく?」

「水で時を刻む装置。千三百年以上前、遠い都の王が作らせたものと同じ仕組みじゃ。今日はそれを記念する日だと、スパイスが言っておった」

コポーは靴の中の水を気にしながら立ち上がり、装置をもう一度見た。水が落ちるたびに、細い金属の針がほんのわずかだけ動く。早くもなく、遅くもなく。池から引いた水なのか、透明で、龍神様の湖の匂いがした。

「スパイスが作ったんすか、これ」

「一週間かけてな。見ておらんがの」

昨夜も工房の灯りは消えていなかった、とコポーは思い出した。

水がまた一滴、落ちた。

梅雨前の六月の朝は空気が重く、池の面がゆっくりと揺れている。コポーはなんとなくしゃがんで、水受けをのぞき込んだ。透明な水が少しずつ溜まっていく。やがて重くなって次の段へ落ちる。また溜まる。また落ちる。

「ソンチョー、時間って……速くなったりするっすか」

焦っているようで、焦っていない。その問いが自分の口から出るまで、コポーは気づいていなかった。

長老はフェっと短く笑い、桜餅を一口かじった。

「速いも遅いもない。ただ落ちておるだけじゃ。速く感じるのは、追いかけているからじゃろ」

コポーは黙って針の動きを目で追った。一滴分だけ進んで、また止まる。一滴分だけ進んで、また止まる。

昨日まで、ずっと何かに追いかけられているような気がしていた。ミニコーが縦笛を始めた朝から。月へ行った人間が海に帰ってきたニュースを聞いた夜から。

「始めた人間はな」ソンチョーが空を見上げた。「鐘を鳴らしたんじゃ。時を知らせる鐘を。水が一升落ちるたびに。みんなに聞こえるように」

「なんで?」

「みんなが同じ時間の中にいることを、知らせたかったんじゃろの」

六月の湿った空気の向こうで、龍神様の祠が朝の靄の中にぼんやりと浮かんでいた。水がまた一滴、落ちた。コポーはその音だけを、しばらく聞いていた。

余白: その夕方、スパイスは誰も見ていない時間に、漏刻の目盛りをほんの一目盛り分だけ増やした。


【本日の雫】

  • 時の記念日(6月10日): 671年(天智天皇10年)6月10日に、大津宮(現・滋賀県大津市)で日本初の漏刻(水時計)が設置され、時の鐘が鳴らされたとされる。この出来事を記念し、1920年(大正9年)に「時の記念日」として制定された。