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  1. 蛙鳴町(あめいちょう)奇譚/

勇者のいない旅

しだれ桜の枝が川面に影を落とす午後、ハッシーが珍しく翼をたたんで石橋の欄干に降り立った。

「ソンチョー。今日で四十年だって」

桜餅を半分食べかけたソンチョーが、顔も上げずに「何がじゃ」と返した。

「最初の勇者が旅に出た日。都会の新聞が大きく騒いでたよ。王様に命じられて、ひとりで魔王を倒しに行ったんだって。それが今日で四十年」

ハッシーは欄干に肘をつき、川の向こうのカエル山を眺めた。翼の古い骨がわずかにうずく。明日は雨になるかもしれない。

「……わしも似たようなことを、若い頃にしたことがあるのう」

ソンチョーが桜餅を包む葉をゆっくりと剥がした。川の匂いが草を湿らせて流れてくる。

「魔王というものを想定して、剣を持って歩き回ったことがある。ある戦地でな。だが、倒せたのかどうかも、よう分からんかった」

「なんで」

「魔王の顔をした相手を倒してみたら、その奥にまた別の顔があったんじゃよ。フェっフェっ」

ソンチョーが笑うと、川がひと息つくように揺れた。

「じゃあ、その後どうしたの」とハッシーが訊いた。遠くでコポーが何か叫んでいるが、内容までは届かない。

「剣を置いた。そして、ここへ来た」

ソンチョーは残りの桜餅を口に入れ、首元の古い傷跡のあたりを静かに撫でた。

「勇者というのはな、魔王を倒した後に初めて、本当の旅が始まるものじゃよ。四十年前の勇者がその先をどう歩いたか、わしは知らんが」

ハッシーは翼を広げて橋の欄干から飛び立った。その背中が川上の空へ小さくなっていくのを、ソンチョーは手庇で見送った後、懐から古い本を取り出した。表紙には何も書かれていなかった。

夕暮れの川面が橙色に揺れていた。

余白: その夜、ハッシーは四十年前の勇者の旅のルートを翼でなぞろうとしたが、地図の端で翼が止まった。その先は、どんな記録にも残っていなかった。

【本日の雫】

  • ドラゴンクエスト発売40周年:1986年5月27日、ファミコン用RPG『ドラゴンクエスト』(エニックス)が日本で発売された。以来40年、「勇者と魔王」という構図は日本のゲーム・物語文化に深く刻まれ続けている。
  • 百人一首の日:1235年(文暦2年)5月27日、藤原定家が「小倉百人一首」を完成させたとされる日。百人の歌が、百の思いを今も伝え続けている。