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  1. 蛙鳴町(あめいちょう)奇譚/

種名、不明

龍神様の湖の畔、朝靄がまだ水面に溶けかけている頃、モッチーは岸の石の上にしゃがんでいた。

大きな手を、水面すれすれに広げていた。波紋を立てないよう、息をひそめて。

「百二十三だ」

背後で草を踏む音がして、スパイスが現れた。昨夜徹夜で組み上げたらしい測定器を脇に抱え、まだ目が充血している。

「去年より三種、増えた」スパイスは器械を湖面に向けながら言った。「龍神様の湖だけで、記録更新だ」

とんぼが水を切る。岸の苔が五月の朝日を含んで深い緑に光る。名前も知らない小さな羽虫が、ふたりの鼻先をかすめては消えた。

モッチーはゆっくりと立ち上がり、濡れた手を作業着の腹で拭いた。

「名前、知ってる? あの虫」

「データにはある。でも見るのは今日が初めてだな」

「そうか」とモッチーは静かに言った。「みんなちっちゃいな。でも全部おらんと、湖がこんなに澄まないんだろうな」

スパイスは画面の数字を眺めながら、何も言わなかった。種名、個体数、水温、透明度。測ることのできるものが、几帳面に並んでいる。測ることのできないものは、並ばない。

湖の奥で、龍神様の気配がした。はっきりとした形はなく、ただ水が、春の終わりよりひと息だけ温かくなった気がした。

「スパイス」とモッチーが言った。「俺たちも、この数に入ってるかな」

スパイスは測定器の画面を、そっと伏せた。

「……今は確認できないな」

ふたりは並んで、しばらく湖を眺めていた。靄が薄くなり、百二十三の命が、静かに朝を始めていた。

余白: その夜スパイスがデータを整理していると、「種名:不明」の項目がひとつ、静かに増えていた。


【本日の雫】

  • 国際生物多様性の日:5月22日は国連が定めた「生物多様性のための国際デー」。地球上の無数の生き物が互いに支え合い、生態系のバランスを保っていることへの理解と保護を呼びかける日。
  • パックマン46周年:1980年5月22日、ナムコからアーケードゲーム「パックマン」が発売。迷路の中で食べながら逃げ回るあの黄色い丸は、46年後も世界中で愛され続けている。