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  1. 蛙鳴町(あめいちょう)奇譚/

ちょっとずつ満ちる

梅雨の手前の風が、龍神様の池の面をゆっくりと横切っていった。

コポーは石橋の欄干に肘をのせたまま、川沿いのしだれ桜を見ていた。花はとっくに散り、今は青い葉が枝をことごとく埋めて、川面に翳を落としている。一週間前より確かに濃い。二週間前と比べれば、もっと。けれどその変化の瞬間を、コポーは一度も見ていなかった。

「野菜が重い」

どっしりとした声とともに、モッチーが台車を引いて橋を渡ってきた。山の畑から下ろしてきた根菜と葉物の山が、湿った朝の空気の中で土の匂いを放つ。

「今年は特に詰まってる気がする」モッチーは台車を止め、細い目で青葉の茂みを見上げた。

「……詰まってる?」

「一気には来んのよ、何でも。毎朝ちょっとずつ、気づかんうちに満ちてくる」

コポーは再びしだれ桜の葉を眺めた。一枚一枚はどこにでもある緑なのに、集まると日差しを塞ぐほどの量になっている。

「オレは、ちょっとずつってのが苦手なんだよな。気づいたときに全部できてないと、なんか負けた気がする」

モッチーは少し考えてから、台車の上の根菜をひとつ持ち上げた。ずっしりとした土付きの重さが、朝の光を跳ね返した。

「これも、気づかんうちに詰まったんだ」

コポーはその言葉を受け取って、しばらく黙っていた。梅雨前の空気は緑の匂いが濃く、気づくと足の指先まで土の湿度が届いていた。

「……そういうもんか」

「そういうもんよ」

モッチーは台車を引いて橋を渡っていった。コポーは欄干を離れず、川面に揺れる葉の翳をひとつひとつ数えるように眺めていた。

余白: その夜、コポーが白紙のノートを開くと、何も書いていないはずのページに、緑の葉の形が薄く浮かんでいた。本人は翌朝も気づかなかった。

【本日の雫】

  • 小満(しょうまん): 二十四節気のひとつ。5月21日頃。あらゆる生き物が日ごと少しずつ成長し、天地に「小さく満ちていく」節目の日。