五月の正午を少し過ぎた頃、コポーは都会から届いたばかりの号外をポケットに押し込んだまま、町外れの踏切の前に立ち止まった。
警報機が、鳴っていた。
いつも開いているはずの遮断機が、白黒の棒を水平に差したまま微動だにしない。列車の来る気配もなく、線路の向こうに停まった車もなかった。コポーは鉄の棒を指の背で叩いてみた。乾いた音がして、消えた。
そのとき、周囲の音がすべてなくなった。
振り返ると、キリガミネンが踏切の傍らに立っていた。
白くまの身体からは、この季節でも涼が漂う。しかし今日の静けさは、いつもと違った。鳥の声が消えた。葦の擦れる音が消えた。遠い農機の唸りも、どこかへ吸い込まれた。完全な無音が、踏切を中心に三十歩ほどの円を描いて広がっていた。スパイスが以前「人工知能のノイズキャンセリングより完璧だ」と言いかけて、途中で口をつぐんだのを思い出した。
コポーは遮断棒のそばまで歩いた。
踏切の向こう側の景色が、変わっていた。
舗装路が消え、砂利道になっていた。電柱の代わりに、軒先に行灯の吊るされた古い商家が並んでいる。明治か、あるいはもっと前の時代か——行き交う着物姿の人影が数人、コポーには気づかぬ様子でゆっくりと往来していた。都会のリアルタイム情報など、そこには影も形もない。
「……なんだ、ここは」
声が、踏切の向こうには届かなかった。そのとき、着物の人影のひとりがふとこちらを向いた。目が、合いそうになった。
「兄ちゃん!」
ミニコーの声がした。背後から駆けてくる小さな足音が、無音の膜を突き破った。コポーはとっさに遮断棒から体を引いた。
踏切の向こう側は、もとの舗装路に戻っていた。警報機が静かになり、遮断棒がゆっくりと上がった。列車は来なかった。
「やっと見つけた。どこ行ってたの」
「……踏切で待ってた」
「踏切の前でぼーっとしてた、でしょ」
コポーはキリガミネンの方を振り返った。白くまはまだそこにいた。何も語らず、涼しく佇んでいる。
「あんた、今の見てたか」
返事はなかった。ただ静かだった。
「……そうか」
コポーはポケットの号外を握ったまま、ミニコーと並んで橋の方へ歩き出した。ミニコーは何も聞かなかった。この町の踏切がときどき変なことになるのは、よく知っていたからだ。
その夕方、スパイスがキリガミネンの近くを通ったとき、工房の受信機が一瞬だけ、明治年間に使われた周波数帯の電波を拾ったという。スパイスは確認のために繰り返し計測したが、もう二度とその信号は現れなかった。
余白: 翌朝、踏切の向こう側の砂利の上に、煤けた行灯の欠片がひとつ落ちていた。どの時代のものかを尋ねられたとき、キリガミネンは何も言わなかった。キリガミネンはいつも何も言わない。
【奇譚の核(しん)】
- 使用した固有現象:時を忘れた踏切、キリガミネンの空白(無音)
- 物語の隠されたテーマ:時間の境界を知る者は、自分がどちら側に属するかを語らない