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  1. 蛙鳴町(あめいちょう)奇譚/

彗星と種の朝

春雨がしとしとと地を濡らす夜明け前、蛙鳴町の畑の端でモッチーがひとり、黙々と種を埋めていた。

指の腹で土に小さな穴を開け、一粒ずつ丁寧に押し込んでいく。雨上がりの土は冷たく、重く、それでもしっかりと種を受け取った。

「……うわ、でかい」

畦道を歩いていたコポーが、空を横切る光の筋に気づいて足を止めた。眠たげな目が、一瞬だけぱっと開く。白く長い尾を引きながら、春霞の向こうを弧を描いてゆっくり進んでいく光があった。

「あれって……流れ星じゃないよな。ぜんぜん止まらない」

「彗星じゃよ」

しだれ桜の根元に腰掛けたソンチョーが、茶色に日焼けした気象手帖から目を上げずに言った。「遥か遠くから旅をして、今日だけ太陽に近づいた。この刻でなければ見えなかった」

三人は、しばらく黙って空を見ていた。

「……行ってしまうんですね」

モッチーが、土のついた手を膝の上に置いてぽつりと言った。彗星の尾は、雨の匂いのする空気の中で少しずつ薄れていく。

「うん。でも、あの光が落ちた場所に何か残るかもしれない」

コポーが、なぜか少しだけ知ったかぶりをした。

「残るものを作るのは、こっちじゃよ」

ソンチョーがフェっと笑った。老いた指先で、手帖の端をちょんと叩く。「空のものは通り過ぎていく。土のものは、時間をかけて芽を出す」

モッチーは静かに頷いて、また種を埋め始めた。穀雨の雨が、ひっそりとその背中を濡らしていた。

余白: コポーはその朝、誰にも言わずに畑の隅に小石をひとつ埋めた。


【本日の雫】

  • パンスターズ彗星(PanSTARRS): 2026年4月20日7時頃(日本時間)、近日点(太陽への最接近点)を通過。太陽から約0.5天文単位の距離まで近づき、この前後の明け方の空での観察が最も好条件とされた。
  • 穀雨(こくう): 二十四節気のひとつで4月20日頃。「百穀を潤す春雨が降る頃」とされ、農耕の種まきの目安とされてきた。