町外れの古い踏切を越えた先、しだれ桜が川面に枝を伸ばす。 今日の蛙鳴町には、都会から「AR(拡張現実)の実験」という名の新しい風が届いていました。
コポーは、エンジニアのスパイスに無理やり持たされた謎の眼鏡をかけ、駅のホームをうろうろしていました。
「スパイス、これ本当に『理想の自分』が見えるのか?」
「……厳密には、AR技術による自己投影シミュレーターだ。駅構内の移動をスムーズにするための技術検証だが、君の『カッコよくなりたい』という強すぎる邪念をデータとして放り込んでみた」
レンズ越しに、駅のホームを見渡す。すると、そこには信じられない光景が広がっていました。 ARの青い光に縁取られた、背筋の伸びた凛々しいカエル――理想のコポーが、困っている都会の観光客をスマートに案内している姿が映し出されていたのです。
「す、すげえ……。これだ、これが僕の本当の姿なんだ!」
コポーは青い光の残像を追いかけるように、胸を張って歩き出します。しかし、現実は残酷です。自信満々に踏み出した一歩は、ホームに置かれたキリガミネンのひんやりした足元に引っかかり、コポーは派手に転倒。理想の自分(AR)は、虚空で華麗にターンを決めて消えていきました。
「……フェっフェっ。コポー、その眼鏡には『あるべき姿』は映っても、『足元の石コロ』は映らんようじゃな」
ベンチで桜餅を食べていたソンチョーが、可笑しそうに笑いました。
「ソンチョー……。僕はいつまで経っても、この泥臭い僕のままなのかな」
泥のついた手を眺めるコポー。そこへ、都会の訪問者たちが道に迷って近づいてきました。
「すみません、龍神様の湖へはどう行けば……?」
コポーは慌てて眼鏡を外しました。ARのガイドはいません。レンズ越しのカッコいい自分も消えました。 彼は真っ赤な顔で、しかし一生懸命に手を動かし、泥のついた指で山の向こうを指し示しました。
「あ、あっちです。急坂があるから、足元に気をつけて……!」
訪問者たちは「ありがとう!」と笑顔で去っていきました。ARの青い光よりもずっと温かい、本物の「ありがとう」がそこにありました。
「スパイス、この眼鏡返すよ。……僕、レンズがなくても、指差しぐらいはできるみたいだ」
「……そうか。位置情報の精度より、心の感度の方が高かったようだな」
夕暮れの駅に、ケロミの歌声が響き始めます。ARの光が消えた後のホームには、泥のついた手で誇らしげに鼻をこする、等身大のコポーの影が長く伸びていました。
【本日のモチーフ:2026年3月26日】#
- ARナビゲーションの技術検証: 2026年3月26日から所沢駅などで開始された、駅構内のスムーズな移動を目指すAR技術。
- しだれ桜と桜餅: 3月下旬、弥生の季節を象徴する風景と旬の味覚。
- キリガミネン(クマ): 春の陽気で少し活動的になりつつも、まだひんやり冷たい冬の名残。