三月の風が駅前広場を吹き抜け、まだ開かない桜のつぼみが枝の先でぎゅっと身を縮めていた。
「……届かない」
ミニコーが踏み台代わりにした石の上から、掲示板の高い位置に向かって精一杯手を伸ばしていた。「ねえさんへの誕生日カード」と書かれた紙。住所の欄には「世界中のどこか」と書いてある。
「手伝おうか」
声をかけたのは、白いマスクを顎まで引き上げたマスクメンだった。いつもの見回りより少し早く、なぜか今日は広場を通りかかっていた。
「ありがとう! でも、なんで今日こんなに早いの?」
「……ただ、歩いていただけだ」
マスクメンはミニコーを軽々と肩に乗せ、カードを掲示板の高い位置にそっと貼らせてやった。分厚い手が、ミニコーの小さな背中を静かに支えていた。
ソンチョーがしだれ桜の下でせんべいをかじりながら、二人をじっと見ていた。
「昔この町に、名もない町人のふりをして広場を歩く奉行がいたというのう」
誰に語りかけるでもない声だった。
「変装がうまかったのではなく、そのひとが本当に、町のひとびとと同じ目の高さで生きておったから——誰も気づかなかったのじゃよ。フェっフェっ」
マスクメンは何も言わなかった。ただ、ミニコーを地面に降ろした後、なぜか急に背筋を正した。
「カードって……伝わるのかな。世界中のどこかって書いたし」
「伝わるよ」とミニコーは笑った。「届かなくても、書いた気持ちは本物だから」
マスクメンは「そうか」とだけ言って、見回りの続きへ歩いていった。マスクの縁が、少しだけ赤くなっていた。
余白: その夜、掲示板に貼られたカードの隣に、誰かが「気持ちは届く」と書いた小さな付箋を一枚、そっと添えていた。
【本日の雫】
- 遠山の金さんの日(3月2日): 遠山景元の命日。江戸時代の南町奉行で、庶民に変装して事件を探ったとされる。「桜吹雪の刺青」で知られる人物で、3月2日はその命日にちなむ記念日。
- ミニの日: 3(み)2(に)の語呂合わせから、小さいもの・ミニチュアを愛でる記念日。