蛙鳴町奇譚:虫と舌の休戦 # 朝のうちから、広場の石畳は青く湿っていた。梅雨の前夜の草の匂いが石畳の隙間に染み込んで、コポーの舌先がひとりでにピクりとした。
嵐の前夜のことであった。
スパイスの工房の窓には、いつも消えることのない電球の光があったが、その夜ばかりは、それに混じって薄緑色の別の光が揺れていた。梅雨の匂いを含んだ風が踏切の方から流れ込み、工房の引き出しの奥に並んだ瓶が静かに鳴っていた。
五月の四日、空の様子がおかしかった。
朝から霧が降りてきた。降りてくる、という表現は正確ではないかもしれない——池から立ち昇るのでなく、頭上より湿った影が、まるでデータパケットの洪水がネットワークを静かに溢れさせるように、音も予兆もなく滑り落ちてきた。逆さ霧だ、と大人たちは言った。
春霞の溶けきった昼下がり、龍神様の池が青空を丸ごと映していた。
「見ろ——今日のコポーは、大地と対話する男になる」
コポーは腕まくりをして池のほとりにしゃがみ込み、スパイスから「研究目的で」借りてきた細い針の温度計を黒土に差し込んだ。小さな画面が37.2と点滅する。
南の空気が、朝から少しだけ違う匂いをしていた。
池の水面がざわめいている。風はないのに、龍神様の祠のしめ縄が揺れていた。コポーは縁石に腰かけて、その揺れを眺めながら腕を組んだ。カッコいいポーズをとるつもりだったが、なんとなくそういう気分になれなかった。