夏の日差しが龍神様の池に照り返し、白い光の粒があたり一面に散っていました。記録の蔵の裏手では、蜜蝋の甘い匂いがほんのり漂っています。
「……ダメだ。また潰しちまった」
モッチーが太い指先を見つめ、大きなため息をつきました。足元には、彼が運んできた巣箱の欠片が転がっています。今年の蜂蜜は例年より上出来だと評判で、町中が収穫を心待ちにしていましたが、いざ巣を切り分ける段になると、力自慢の手はどうしても不器用に空回りしてしまうのでした。
「大丈夫、モッチー。今日のために、これを作った」
工房から現れたスパイスが差し出したのは、小さな鋏でした。柄には、彼が徹夜で削ったという滑らかな木の握りがついています。
「刃先の角度を、蜜が固まる前の巣の粘り気に合わせて調整した。力じゃなく、刃に任せればいい」
半信半疑で鋏を握ったモッチーが、そっと巣に刃を入れます。金色の蜜がひと筋、日差しを受けて光りながら滴り落ちました。誰にも潰されることなく、巣はきれいな形のまま切り分けられていきます。
橋のたもとを長い脚で颯爽と通りかかったタッチーが、その光景にふと足を止めました。
「……いいな、その調整。僕の靴の中敷きも、誰にも見えないところで毎晩削り直している」
飄々とそう言い残し、タッチーは振り返らずに歩き去っていきました。モッチーは自分の手のひらに残った蜜を一滴舐め、少しだけ照れくさそうに笑いました。
「……甘いな」
余白: その夜、スパイスは鋏の柄に小さく「モッチー専用」と刻んでいた。
【本日の雫】
- はちみつの日: 「はち(8)みつ(3)」の語呂合わせにちなむ記念日。全日本はちみつ協同組合と日本養蜂はちみつ協会が制定した。
- ハサミの日: 「は(8)さ・み(3)」の語呂合わせ。美容家・山野愛子が針供養にならって「ハサミ供養」を提唱したことに由来する。