駅前広場に立て架けられた青竹が、さらさらと乾いた音を立てて揺れている。
昼下がりの熱気がアスファルトから立ち上る中、改札口の周りだけは、切り取られたようにひんやりとした空気が満ちていた。ベンチの端で、白くまのキリガミネンが静かに佇んでいる。彼がそっと息を吐き出すたび、駅舎の軒下を涼しい風が通り抜けていく。
その風を避けるように、オヒサマは広場の片隅にあるベンチで、淡い紅色の短冊を指先で弄んでいた。手元のスケッチブックの隅に書いた、いつかの本の一節。「毎日同じ時間に来てくれると、その時間が特別になる」――。オヒサマは小さく息をつき、誰も見ていないことを確認してから、短冊に細いペンで文字を書き入れた。
しかし、広場の中央にある竹の枝は、すでに色とりどりの願い事で満ちており、どれも目立つ位置ばかりだった。
「別に、本当に叶うなんて思ってないし……」
オヒサマは短冊を握りしめ、立ち上がりかけたものの、またベンチに腰を下ろしてしまった。誰かに見られるのも、自分の文字が衆目に晒されるのも、なんだか落ち着かない。
そこへ、ゆっくりとした足取りで近づいてくる人影があった。
蛙鳴町警備隊のマスクメンだ。彼はいつものように、目と鼻と口だけをのぞかせた色鮮やかな覆面を後ろ手の紐できりりと編み上げ、胸を張って巡回していた。ただ、オヒサマの姿を見つけると、そのヒーローらしい歩みがわずかにぎこちなくなる。
マスクメンはオヒサマの隣で立ち止まり、直立不動の姿勢をとった。言葉は発しない。ただ、覆面の目穴の奥から、そっと彼女の様子を伺っている。
オヒサマは慌てて短冊を背中に隠し、ぷいと横を向いた。
「なによ。パトロールなら、あっちの古い踏切の方に行けば? 期待しないで待っててあげようかと思ったけど、別に用はないわ」
マスクメンは答えず、ただ自分の大きな手のひらを広げて見せた。その肉厚な手からは、夏の暑さとは異なる、どこかほっとするような温もりが伝わってくる。彼はそのまま、広場の青竹の一番高いところ、青々とした葉の陰に隠れた、誰も手が届かない枝を指差した。
そして、オヒサマに手を差し出す。その仕草は、「そこに吊るしてあげる」と言っているようだった。
オヒサマはマスクメンの顔と、高い枝を交互に見比べた。
「……そこなら、誰も見ないわね」
彼女は小さく呟き、しぶしぶといった様子で、握りしめていた淡い紅色の短冊を差し出した。
「本当に、ただ余ったから吊るすだけなんだからね。変なこと考えないでよ」
マスクメンは無言で頷くと、短冊を受け取り、すっと背伸びをして高い枝へと手を伸ばした。彼の暖かい指先が、細い糸を竹の節に丁寧に結びつける。
キリガミネンがふっと吐き出した涼しい風が広場を吹き抜け、結ばれたばかりの赤い短冊が、笹の葉に隠れるようにして静かに揺れた。
マスクメンは満足そうに無言の敬礼を送り、再びパトロールへと歩き出した。
オヒサマは、葉の影で見え隠れする自分の短冊を見上げながら、少しだけ鼻を赤くしてスケッチブックを抱え直した。
「……まあ、結んでくれたことだけは、感謝してあげるわ」
涼風の中に、笹の葉の青い匂いが優しく混ざり合っていた。
余白: マスクメンの巡回日誌の隅には、「本日の任務:高い枝の警護。完了」とだけ小さな文字で書き残されていた。
【本日の雫】
- 七夕(たなばた):織姫と彦星の伝説にちなんだ伝統行事。願い事を書いた短冊を笹の葉に吊るす風習がある。
- 小暑(しょうしょ):二十四節気の一つで、暑さが本格的になり始める頃を指す。
- 竹・たけのこの日:竹取物語のかぐや姫が竹の中から生まれたのが7月7日であるという伝説にちなみ、日本竹産業連合会が制定した記念日。