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  1. 蛙鳴町(あめいちょう)奇譚/

蛙鳴町奇譚:九次元の折り目

梅雨が明けきらぬ朝、蛙鳴町の古い踏切には、どこか薄荷めいた冷気が漂っていた。

ミニコーが都会から運ばれた新聞を膝の上でひらき、兄のいない縁側でひとり呟く。「……都の物理学者が言うには、この世は本当は九つの次元でできていて、僕らはそのうち三つしか畳めずにいるらしい」。折り畳まれて見えなくなった残り六つは、指の先ほどの隙間に潜んでいるのだという。

その噂を耳の奥へ留めたのは、工房の灯を絶やさぬスパイスであった。彼は都会 of ジャンクから拾い集めた素子を継ぎ接ぎし、「六次元を覗く走査儀(スキャナ)」と称する箱を一晩で組み上げた。針の先が空気に触れれば、畳まれた次元の襞が、ほんの刹那ほどけて見えるのだという。

箱を抱えて踏切へ立つと、そこには例のごとく、身体のひやりと冷たい白くま――キリガミネンが佇んでいた。定刻の電車を待つでもなく、ただ、ホームの端の空気を撫でるように。

「……ねえキリガミネン。少しだけ、映ってもらえるかい」。スパイスが走査儀の針をそっと向けた刹那、箱の硝子に浮かんだのは、白くま一頭の姿ではなかった。九つの角度から折り重なった無数のキリガミネンが、寸分たがわぬ息づかいで、同じ場所に立ち並んでいた。

その時、踏切の警報が澄んだ音で鳴りはじめ、遮断機が静かに下りた。棒の揺れる拍子に、ほどけかけた六つの襞は、まるで気を利かせるように畳み直され、硝子はまた一頭の白くまへと戻った。

スパイスは箱を下ろし、しばらく黙っていた。「……そうか。君がいつも冷たいのは、残りの六つの君が、まだ畳まれた向こう側で、たしかに息をしているからなんだな」。キリガミネンは何も言わず、ただ涼やかに、一度だけ頷くようにホームの空気を撫でた。

救いは、あった。スパイスはその日、走査儀の電源を静かに落とし、二度と針を向けなかった。畳まれたものを無理にほどかずとも、この冷たい掌の温度ひとつで、ちゃんと隣にいてくれると分かったからだ。

夕暮れ、新聞を畳んで棚へ戻したミニコーは、ひとつだけ、誰にも言えぬことを思った。きっちり四つに畳んだはずの朝刊の折り目が――どういうわけか、九つ、あった。

余白: 遮断機が上がったあとも、走査儀の硝子の隅には、もう一頭分の白い息が、しばらく曇りとして残っていた。

【奇譚の核(しん)】 ・使用した固有現象:古い踏切に生じる「畳まれた六次元の襞」と、それを覗く走査儀(スキャナ) ・隠されたテーマ:見えない次元へ折り畳まれた「もうひとりの君」を、無理に開かずそのまま受け入れること